#6 ジャポニスム 2013年11月6日(水)放送

フィンセント・ファン・ゴッホ&クロード・モネ
ゲスト

華道家 假屋崎省吾

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ジャポニスムが生んだ2つの傑作

19世紀末のフランス。印象派の画家たちを魅了したのが、開国されて間もない日本から送られてきた浮世絵・屏風・漆器などの芸術品でした。中でも、インパクトを与えたのが浮世絵。浮世絵に描かれた東洋のエキゾチズム、そして、大胆な構図に鮮やかな色彩…。多くのモネ、ドガ、マネなど印象派の画家たちは我先にと浮世絵を手に入れ、自らの芸術に取り入れました。こうして日本の美と西洋の美が融合したジャポニスムの傑作が次々に誕生したのです。中でも名作と言われるのが・・・クロード・モネの「睡蓮」。フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」。この名画のどこにジャポニスムがあるのでしょうか?ジャポニスムが生んだ2つの傑作の秘密に迫ります。

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ジャポニスムの影響を受けた二大巨匠

浮世絵に魅せられたフィンセント・ファン・ゴッホ。油絵で浮世絵の模写をするほどの勤勉ぶり。歌川広重の「雨の大橋」を模写しています。降り注ぐ雨を直線で描くのは日本独特の描写。浮世絵の模写を通じゴッホは新しい美学に目覚めます。ゴッホが最も浮世絵から影響を受けたものが色彩でした。浮世絵の色彩に魅せられて以来、ゴッホの作風は大きく変わっていきます。日本への思いを募らせたゴッホは、「色彩の表現」を追求するため34歳の時、南フランスの街、アルルを目指します。南国の強い日差しは街の色を鮮明に浮かび上がらせていました。ゴッホはこの地に自分が抱いている日本のイメージを重ねたのです。アルルという新天地はゴッホの創作意欲を掻き立て、色彩豊かな独特の描写が生み出されていきました。そしてあの代表作「ひまわり」が誕生するのです。花瓶に挿された15本の花。全体を彩る鮮やかな黄色は、アルルの太陽の光に触発されたものといわれています。実はアルルでゴッホは7点もの「ひまわり」を制作しています。様々なバージョンのひまわりを描いた理由はゴッホが「ひまわり」で色彩研究を試みていたからなのです。最初に描かれたひまわり…どれも背景は青色。黄色の補色の青を使い鮮烈な印象を与えることを狙ったとみられています。しかし…4点目のひまわりから背景に黄色を使うようになります。これは同系色で調和をめざす目的のために使われる手法です。同じ色を使っても埋没させない表現方法、塗り方を懸命に模索したあとがひまわりを通じてみることができます。浮世絵にインスピレーションを得たゴッホ。色彩研究を経てゴッホイエローと呼ばれる鮮烈な色彩が完成したのです。

ゴッホがひまわりを描いていたころ、フランス、ジヴェルニーに日本の芸術に傾倒していた画家が住んでいました。クロード・モネです。モネが暮らしていたジヴェルニーのアトリエにはたくさんの日本美術のコレクションが残されています。200点に及ぶ浮世絵や、水墨画や陶器。これらはモネの制作の原動力になっていました。モネに影響を与えた日本の美意識。それは自然の情緒でした。印象派以前の西洋美術は、自然をどこか人間に対峙するようなものとしてとらえていました。浮世絵という芸術を通して、モネは日本人の自然の情緒を愛する美意識というものを学んだと考えられています。さらにモネは自宅の敷地に日本人の自然観をとりいれた自分だけの理想郷、日本庭園をつくります。近くの小川から水を引き、風流な太鼓橋をかけました。この庭でモネは生涯のライフワーク‘睡蓮の連作`を生み出したのです。1899年の作品「睡蓮の池」太鼓橋を中心に描かれています。この絵も広重の浮世絵、「名所江戸百景」に着想を得たといわれています。モネは生涯にわたり、200枚を超える睡蓮を描き、同じ水面でも季節や時間によって全く違う表情をとらえ続けていきます。日本の美から芽生えた感性が独自の作風に結実していったのです。

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ひまわりに込めたゴッホの思い

日本に見立てたアルルに住み“日本人のように優れた芸術を生み出したい”と考えていたゴッホ。ゴッホは日本の芸術家の創作スタイルも真似ようと考えます。日本の浮世絵は絵師、彫師、刷り師など専門の職人がそれぞれの腕を振るって生み出されます。その話を伝え聞いたゴッホはこう考えました。「日本の芸術が洗練されているのは共同制作を通じお互いに切磋琢磨しているからに違いない・・・」ゴッホはたくさんの画家を集めともに、創作活動に励む芸術家の理想郷をつくろうと考えていました。実はひまわりはゴッホがともに暮らす画家たちに捧げるために描かれたもの。ゴッホにとっては、ひまわりの黄色は友情を示す色であり、希望を満たすための願いをこめてひまわりというものを描き続けたと考えられています。ひまわりには、ゴッホの「理想」が込められていました。アルルに“見果てぬ国”に日本への思いを重ねたゴッホ。彼が抱いた情熱は強い色彩となって今なお、輝き続けています。

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モネが描こうとした“時間の流れ”

日本庭園で自然の情景と向き合っていたモネ。そのタッチは年を追うごとに次第に変化していきます。モネ、後期の「睡蓮」では初期の作品と比べるとその描写はより自由になっています。近くでみると、シンプルな筆の動きで描いていることが分かります。帝京大学教授の岡部先生はモネの睡蓮と水墨画との共通点を指摘しています。「日本の水墨画というのは筆の芸術です。筆の動きの中にすべてのものを表現していくという芸術です。水墨画では色彩は連想するものだったが、モネは色彩そのものが絵の中にある。水墨画が表現しきれなかったことも含め、精神も踏まえてさらに超えた日本芸術を作り出したのがモネと言ってもいいと思います」移ろいゆく自然を生涯、見続けたモネ。独特の筆遣いは一瞬の光を捕え悠久の時間と果てしない空間の広がりまで描き上げたのです。

日比野克彦

日比野の見方「時を描く」

日比野の見方 彼らにとって衝撃だったのは、日本人の時間に対する表現だったと思います。雨や空間や波の一瞬をとらえた構図…
時をどう描いたか。ジャポニスムの神様はふたりの天才画家に、モネはゆっくり描けと、反対にゴッホには日本の持っている時空間を秒針のように描いてみろ、という時の指示を与えたのではないでしょうか。ゴッホは秒針。モネは短針。ふたりの巨匠を時計の針に見立ててみました。

小川知子

小川知子が見た“巨匠たちの輝き”

ゴッホの「ひまわり」、モネの「睡蓮」。この有名な絵画に日本の浮世絵の影響があるそうです。私が驚いたのは、新しい浮世絵の手法を取り入れよういうと必死さ。モネもゴッホも今では巨匠といわれる存在なのに新しいものに対してとても貪欲に取り組み、自分のものにしようとしていました。
日比野さんが「芸術家って部屋にこもってるイメージがあると思うけど違う!どちらかというと行動派の体育会系なんです!」というお話も面白かったですね。ゲストの華道家の假屋崎省吾さんはゴッホ美術館でもモネの庭でもお仕事経験があり貴重なお話を聞くことが出来ました。