#5 パリのシンボル 2013年10月30日(水)放送

シャルル・ガルニエ&ギュスターヴ・エッフェル
ゲスト

フランス文学者 鹿島茂

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パリを世界に誇る街に変えたシンボル

花の都パリ。年間1500万もの人々が集まる世界屈指の観光都市ですが、実は150年ほど前は排泄物に溢れ、テロ事件も横行する醜悪な街でした。そんなパリを世界に誇る街に変えた2つのシンボルがあります。
“パリ国立オペラ劇場(1875年)”と“エッフェル塔(1889年)”
それぞれの設計を担当したのが建築家シャルル・ガルニエ(オペラ座)と技師ギュスターヴ・エッフェル(エッフェル塔)です。同じ19世紀後半、彼らがどんなシンボルを造り、それによってパリをどう表現したのか?そこに込められた輝きの秘密に迫ります。

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多様な美を凝縮した「芸術の殿堂」

19世紀半ばから始まった、皇帝ナポレオン3世によるパリ大改造計画。都市整備が進む中、その目玉として中心部に作られたのがオペラ座です。いまも世界中の人々がその舞台に憧れ、フランス文化の伝統と尊厳を守る格式高い場所。しかし、その設計はそれまでの200年続いたオペラ座の伝統とは全く異なるものでした。たとえばバルコニーには古典様式の重厚な柱、鮮やかな色の大理石と彫像で飾られたバロック様式、ビザンチン様式の天井モザイク画が入り混じっていました。芸術の都パリを表現したかったガルニエは、様々な時代のスタイルが1つの場所に融合させたのです。ナポレオン様式とも呼ばれるこのガルニエのスタイルの真骨頂が見られるのが、大回廊・グランホワイエ。美女の肖像画に天使の彫像、神話を表す絵画などが、壁・柱・天井など至るところに凝縮された豪華絢爛の世界。ガルニエは多様な芸術の光の輝きによって、芸術の都パリを表現したのです。

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技術を徹底追及した「先端技術の塔」

オペラ座誕生から14年後のパリに建てられたシンボルがエッフェル塔です。当時、普仏戦争を経てフランスは弱体化し、近代国家としての力強さを示すことが国を挙げた重要課題でした。その課題を実現するため、政府は万国博覧会で世界の度肝を抜くようなシンボルの建設を計画。選ばれたのが技師ギュスターヴ・エッフェルのプランでした。
考えたのは当時世界一だったワシントンのオベリスクの2倍もの高さ、前人未到の300メートルの塔。高さを可能にするためエッフェルは最新の素材である「鉄」に着目。イギリスで起きた産業革命がフランスにも波及し、鉄道網が全土に敷かれるなど、鉄は当時最新の素材。鉄を剥き出しにした斬新なデザインの建物の建設を進めます。しかし、そのデザインは、石造りの建物に慣れた当時の人々の美意識に大きな違和感を与え、芸術家たちによる反対運動が勃発。抗議文の中にはあのシャルルガルニエの署名も・・・。
しかしエッフェルは技術の追求こそが美を生み出すと固い信念を持っていました。実際、エッフェル塔には、アーチ曲線や、鉄のレース編みにも喩えられる構造から、シンプルな美しさが生み出されたのです。さらに塔の下に広がる大空間によって街の美観と調和させることに成功。エッフェルは先端技術の美によって近代都市パリを表現したのです。

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多様な芸術の神々が集う神殿

多様な芸術の美によって芸術の都パリを表現したガルニエ。あらゆる様式の中でも最もこだわりを持ったスタイルが建物正面に隠されています。屋根には音楽神アポロンや芸術の女神ミューズの彫像。そしてファサードには古代ギリシャ建築で使われるコリント式の列柱が立ち並んでいました。
実はガルニエは、オペラ座建設の際、ギリシャ神殿をイメージしていました。若き頃留学したイタリアから、地中海各国の優美な建築をめぐる旅に出たガルニエは、ギリシャで壮麗な古代神殿に出会い感動。多様な芸術の神々が集う神殿こそ、芸術の都パリを表現するにふさわしいと考えます。
そうしたガルニエの想いが結集したのがオペラ座入口近くにある大階段。33種類の大理石やギリシャ神話を描いた絵画を用いてカラフルな神殿を創り上げたのです。その大階段は初演を見た観客から「オペラそのものより美しい」と大絶賛され、パリに人々を引き寄せる求心力に。さらにオペラ座誕生後、印象派の画家たちなどたくさんのアーティストが集まる街に変貌。ガルニエの狙いが的中し、芸術の都パリが誕生したのです。

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最新技術による新たな美の体験

先端技術の粋を結集してエッフェル塔を建設したギュスターヴ・エッフェル。その塔には橋の技術者としての想いが込められていました。エッフェル塔着工の2年前、鉄橋倒壊の大事故を起こしたエッフェルはもう二度と事故は起こすまいと徹底的に、高所に吹く風を研究し、人々に安全に見てもらえる塔を実現したのです。一方で鑑賞物としてだけではなく、たくさんの人々が集まる塔にしたいと考えていたエッフェルは、当時最新の技術だった水圧式エレベーターを取り付け、人々を天上に運びます。そこには、これまで体験したことのなかった「街を俯瞰する」という新しい美の体験がありました。その体験によって衝撃を受けた人々は、塔の取り壊しに反対。先端技術が美を生み出したエッフェルの狙いがあたり、今でも愛されるパリのシンボルとして輝いているのです。

日比野克彦

日比野の見方「建築に聞け!!」

日比野の見方 その時代がどうだったかということを100年単位、200年単位で考えるとき、「建築物」が大きなヒントになる。「建築に聞く」ことによって、時代の中の位置付けや向かっていく方向などが分かると痛感した。

小川知子

小川知子が見た“巨匠たちの輝き”

オペラ座とエッフェル塔、両方とも花の都パリの顔です。
ひとつの建築によって街全体が変わる、さらには人の意識も変える、なんてシンボルのお手本のような存在ですね。両方、コンペで選ばれ建てられたので 選んだ選考委員が先見の明があったと思いますが フランス文学者の鹿島茂さんによると「建築とはその時代の空気を形にしたもの。だからその時代のパリの雰囲気を表している」とのこと。“なんでもいいとこどり“のオペラ座も機能美のエッフェル塔も パリの街の許容範囲の広さを表しているように思えました。