#2 アメリカが愛したヒロイン 2013年10月9日(水)放送

ゲスト

写真家 立木義浩

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20世紀が生んだ永遠に輝き続けるヒロイン

映画の都ハリウッド。星の数ほどのヒロインたちが、ここから送り出されて来ました。そんな中で「世紀のヒロインと」称され、燦然と その名を輝かせ続ける2人の女優がいます。
“マリリン・モンロー”と“オードリー・ヘップバーン”
イメージは正反対のふたり。セックス・シンボルと永遠の妖精と形容される清純派。しかし、ふたりは登場から半世紀を過ぎて、憧れの眼差しを集め続ける特別な「ヒロイン像」を創造した偉大な女優であることにおいて共通しています。時と共に人々の価値観が移り変わる中、なぜ彼女たちだけ未だに「ヒロイン」として輝きを失わないのか。その秘密に迫ります。

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50年代アメリカ、その常識を揺るがす

モンローとヘップバーンがスターダムを駆け上がったのは1950年代。アメリカは戦後の好景気を謳歌していました。自動車や家電を手に入れるため堅実に働き、ホームドラマのような暮らしをしたいと誰もが思っていた社会に、突如、大人たちの目を丸くさせるようなセクシー美女が登場!
それがマリリン・モンローでした。
その「お色気」の飛び抜けた勢いは、過去の女優たちと一線を画していました。モンローの代名詞になっている地下鉄の通気口から吹き上がる風でスカートが捲れる姿。「七年目の浮気」での有名な場面ですが…実は当時の映画業界は検閲がうるさくギリギリの表現。言うなれば彼女の存在は「モラル破りのセクシー」!だったのです。そんな姿を涼しい顔をして晒すモンローの奔放さに、大衆は常識や道徳観を揺るがされますが、思わず「大したものだ」と称賛の声も上げます。粗削りながらも、新しい時代の可能性や活力をモンローが体現したからです。
いっぽう「ローマの休日」でハリウッドへさっそうと登場したオードリー・ヘップバーン。実はヘップバーンもまた当時は「常識外れ」の存在でした。ヘップバーンの魅力と言えば、やはり「永遠の少女」のように常に可憐で、溌剌と輝きに溢れていること。「ローマの休日」で1日限りの自由を満喫する王女を演じるのに、彼女特有の「少女らしさ」は無垢で天真爛漫にローマを駆け回る王女を表現するのに、この上なくぴったりでした。しかし、このヘップバーンの魅力。実は当時のハリウッド女優としては異質でした。顔立ちも整い、成熟した大人。もっと典型的にスターらしく完璧な印象を持つような人物が「女優」だという価値観の時代だったからです。しかしヨーロッパから来た新星は、見事その瑞々しさで映画を成功させ世界中で人気を博します。モンローとヘップバーン。誰もが知る王道のヒロインである彼女たちですが、何当初は異色の存在だったのです。

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世間の期待に応える、それがヒロイン

モラル破りのセクシーさで世間に衝撃を走らせた「マリリン・モンロー」。本名ノーマ・ジーンとしてモデルをはじめたのが10代後半。実は・・・この頃の写真を見ても髪は茶色く、セクシーなチャームポイントであるホクロも見当たりません!男たち永遠の憧れ「ブロンド美女」。その代名詞とも言えるモンローのセクシーなビジュアルは何と!持てる魅力を存分に使い、世の男性の支持を得ようとした彼女の工夫と戦略の産物だったのです。施設や親せきの家に預けられ転々とする生い立ち。彼女はそんな中で、女優への夢を抱きました。そしてセクシーな魅力で席巻しはじめると大衆の期待に応えてセックス・シンボルとしてのイメージを追究しスターの地位へ駆け上がったのです。
こうしてモンローが虜にしたのは、映画の観客だけではありませんでした。有名になるとすぐ大リーグの元スター選手ジョー・ディマジオと結婚。世界中を賑わします。ただし、それは祝福の賑わいばかりではありませんでした。新婚旅行で来日した際には何と!夫を置き去りにして朝鮮戦争の兵士の慰問へ。一連の行動が最後は離婚スキャンダルに発展して世を騒がせます。とにかくアメリカ中の人々の注目を集めるヒロイン「マリリン・モンロー」、そのイメージで人生のあらゆる面を染め上げていったのです。しかしモンローをすっかり疲れ果てさせた原因こそ、この「ヒロイン像」を維持し続ける苦労。そして36歳の若さで迎えた謎の死。最後まで、大衆の目だけは集め続けたのでした。

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コンプレックスを逆手に取り、
新しい美の基準までつくったヒロイン

「ローマの休日」でいきなり成功を掴んだヘップバーン。しかし、本人はイマイチ自信が持てないでいました。悩みの種はスレンダーな体型。少女のような魅力を醸すのに貢献していた体型ですが、当時の価値観と照らし合わせてみれば「貧相」と本人は思い込んでいたのです。
1954年の映画「麗しのサブリナ」。まだ駆け出しの新人だったヘップバーンですが、この作品にたいへんな意欲を示します。この物語の映画化をスタッフに進言し、その上コンプレックスだった体型を逆手に取るような工夫をこらし、人々にあっと言わせたのです。
ひとつが、細身でくるぶしが出た丈の短いパンツルック。「サブリナパンツ」として大流行しました。コンプレックスだった少女的な体型がむしろ目立つようなかっこうですが…隠さず、際立たせることですっきりと、スタイリッシュな美しさに見えるように演出したのです。そして活動的な印象が細身のヘップバーンにぴったりと似合い共感を呼びます。銀幕の中はゴージャスが主流のハリウッドに「シンプルな美」を持ち込んだ瞬間でした。さらに、この映画では新進気鋭だったデザイナー、ユベール・ド・シバンシィの衣裳も取り入れてシンプルかつ洗練されたスタイルを広め、ファッション・リーダーの地位も獲得していきます。こうしたヘップバーンの行動、姿は自立した女性が社会に進出し始める時代の空気にもピッタリと合っていました。彼女のファッションによって新しい美の基準を増やしたばかりか、女性の生き方そのものにまで大きな影響を与えたのです。

日比野克彦

日比野の見方「時代の鏡」

ヒロインとは「時代の鏡」。彼女たちの姿を通して1950年代のアメリカが見えて来ました。
さらに、そのアメリカと関係した当時の日本の姿までも映し出されます。その時代、時代のヒロインと呼ばれる人の役割として「時代を読み取るキーワードになっている」ことがあると思いました。

小川知子

小川知子が見た“巨匠たちの輝き”

マリリン・モンローとオードリー・ヘップバーンと聞いて パッと美しい顔が思い浮かびますよね。“セックスシンボル”と“永遠の妖精”今も現役のヒロインです。全く違うタイプのヒロインがなぜ熱狂的に受け入れられたのか、時代が求める像に寄り添いながらも自己演出する努力も怠らなかった2人、大人の女性ですね。

ゲストは写真家・立木義浩さん。写真界の大御所ですが 打ち合わせで「オガワってよんでいいか?」と話しかけてくださいました。数多くの女優さんを撮影してきた立木さんの 短時間で女性との距離を縮めるワザなんだと感じました。その立木さんがマリリンについて熱く語る表情はまるで少年のよう。“マリリンパワー”を目の当たりにしました。