華麗なる芸術の都ウィーン 音楽を巡る日本との交流
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音楽の都ウィーンの魅力に迫るドキュメンタリー。偉大な作曲家と日本には知られざる絆があった!
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世界中の人々が「音楽の都」として憧れるウィーン。 かつてモーツァルトやベートーヴェンが活躍し、今もウィーン・フィルやウィーン・オペラ座をはじめとする音楽が、人々の生活にすっかり溶け込んでいる街、ウィーン。 2012年、そのウィーンで〈ウィーン楽友協会〉が創設200年、〈ウィーン・フィル〉が創設170年の記念の年を迎える。実はこのウィーン楽友協会とウィーン・フィルの二つが、車の両輪となり、ウィーンを「音楽の都」とならしめているといっても過言ではない。 番組はウィーン楽友協会創設200周年記念のウィーン・フィルのゲネプロ(最終リハーサル)を入り口に、明治期に西洋音楽を導入した日本が、ウィーンからどのような影響を受けたか、そしてウィーンの音楽家達が日本とどのような関わりを持っていたのか、その知られざる音楽の交流に迫るドキュメンタリーだ。 ベートーヴェン、ブラームス、マーラーといった大作曲家の自筆楽譜や貴重な資料が保管されているウィーン楽友協会の音楽資料室「アルヒーフ」。そこには、明治期の日本とウィーンとの貴重な音楽の交流を物語る資料が保管されている。ブラームスが所有していたシーボルト「日本楽譜やボックレート「日本民謡」。さらに、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフから明治天皇に献上されたピアノに纏わる新証拠。そしてウィーン楽友協会付属音楽院に日本人で初めて入学した幸田延の物語…。 19世紀末、音楽と共に、ヨーロッパの東西文化の交差点ウィーンで、頂点を極めた美術。代表作「接吻」で知られる画家グスタフ・クリムトは、官能の画家と呼ばれると共に日本の金屏風の影響を受け黄金の画家とも言われる。しかし、そのクリムトが、アトリエに日本の浮世絵を飾っていたことは、ほとんど知られていない。番組では、残された写真を手掛かりに、クリムトが飾っていた浮世絵が誰の何という作品なのかを、世界で初めて特定した。そこからクリムト、そしてウィーン世紀末の芸術家達に日本の芸術が与えた影響が明らかになる。 華麗なる芸術の都ウィーンに、日本との知られざる交流の証を求め、音楽、そして美術を巡る旅に出る。