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2002年 6月8日の放送
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景気底打ち宣言に踏み切った政府だが、物価の底打ちにはまだなかなか踏み切れそうもない。上の線グラフは、国内総合卸売物価指数の推移(1995年平均=100)。90年以降の推移を見ると、1990年12月の109.1をピークに下落傾向が続いている。直近4月の指数は97.0となり、昨年11月につけた95.8から小幅上昇してはいるが、到底底打ちとは言いがたい状況だ。
ここ10年の物価推移の特徴は、底を打ったかに見えても、なかなか持続しないことである。前年同月比の推移を見ると(下の棒グラフ)、91年4月以降95年9月まで54ヶ月連続でマイナスが続いた後は、何度かプラスに浮上することがあった。しかしいずれも1年程度しか続かず、その後は再び何ヶ月も前年比マイナスが続く状況が繰り返されている。最近では、2000年8月から1年間、前年比プラスの状態が続いていたが、昨年9月に再びマイナス入りし、以後8ヶ月連続で水面下の状態が続いている。
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戦後の物価変動がインフレ基調にあったことを考えると、このように長期間物価下落が続くことは珍しい現象に見える。しかし、その背後には構造的な要因が横たわっているのではなかろうか。第一に、現在情報通信革命が進行中だが、“革命”はバイオ・ナノテクなどほかの分野にも急速に広がり、第3次産業革命という様相を呈している。第二に、90年代から金融・資本の自由化が本格化し始めている。米国では29年の大恐慌以来、銀証(銀行と証券業務)分離・金利規制・州際業務規制の三大規制が敷かれたが、80年代以降緩和が進み、金融自由化が大きく進展した。しかしこれは金融機関の競争を激化させ、新しい環境に対応できない金融機関を破綻に追い込む結果も招いている。このため金融危機が発生し、“特に90年代初期には信用収縮が現実化し、失業率は上昇して成長は鈍化するなど、不況色を深めた” ( 「平成デフレと1930年代米国の大恐慌との比較研究(2002年4月)」(名古屋大学内藤教授)の論文による)という。第三に、グローバル経済に新しい強力なプレイヤーが次々と参入し、価格低下に拍車をかけていることは承知のとおりである。
このような背景を見ると、現在のデフレは構造的なものであり、容易に脱出することはできないものであることがわかる。
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現在と同じように物価が長期的に下落、または安定した時期として、1800年代前半の時期を以前紹介したが、今回は1870年〜1913年の時期(パクスブリタニカの時代)の物価推移を見てみる(資料:マクミラン世界歴史統計)。当時も比較的平和で、急速な技術進歩とグローバリゼーションが両立した時代だった。物価指数は1873年に130(1913年=100)をつけた後、下落に転じ、1896年まで23年間にわたり、下落の一途を辿っている。その後1897年から上昇に転じたものの、1897年から1913年までの間の年間平均上昇率はプラス1.7%に過ぎない。
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このような環境下、卸売物価だけでなく、日本の資産デフレも一段と深刻さを増している。上のグラフは、88年以降の名目GDP総額に対する、土地資産額の比率推移である(土地資産額のデータは、「国民経済計算年報」の家計・企業の民有地合計額を利用)。90年にGDPの約5倍(名目GDP約440兆円に対し、土地資産額約2200兆円)にまで上昇した後、2000年末現在では約2.5倍にまで落ち込んでいる(GDP約510兆円に対し、土地1330兆円)。この比率は10年連続で低下しており、依然回復の兆しを見せていない(注)。
土地だけで、900兆円近い富が失われた格好となっており、資産デフレの深刻さがうかがわれる。
(注)ちなみ株式時価総額との比率で見ると、こちらは89年に約1.5倍(GDP409兆円、株価総額630兆円)でピークを打った後、97年と98年に約0.5倍にまで低下した(GDP約520兆円、株価総額約280兆円)。しかしその後は上昇に転じ、2000年末現在では0.7倍となっている。
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このような資産デフレ、物価デフレが起きた結果、日本の企業は「債務デフレ」の状態に陥った。債務は、物価と資産のインフレが続く中では、その実質価値が減少し、企業の負担にはならない。しかし、デフレが進行すれば、企業の実質債務負担は増大し、かなりの確率で銀行の不良債権となって跳ね返ってくる。
特に日本の場合、一部の企業に実質債務負担の急増が見られるのが特徴となっている。上のグラフは、株価時価総額に対する純債務(グロスの有利子負債額から手持ちの現預金・証券を差し引いたもの)倍率の推移を示したもの(データ:ソロモン・スミス・バーニー証券)。東証1部上場企業(金融機関は除く)のなかで、85年(12年前)の時点で、純債務倍率を高い順に5グループに分け、その後の推移を見たものである。わかりやすくするために、当時もっとも純債務倍率が高かったグループとそれ以外のグループの2つに分けた。上のグラフからわかるように、85年当時もっとも純債務倍率が高かった企業の倍率は、デフレ時代を迎えますます上昇し、2000年末で5.4倍となっている。一方、その他4グループの純債務倍率はゆるやかな上昇にとどまっており、平均は0.35倍である。この純債務倍率の突出した一部の企業(上のグラフでは約170社が含まれる)をどうするか、が“日本株式会社” にとって最大の問題になっている。
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