2002年 3月 2日放送 マーケット・ナビのポイント

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  エンロン問題で米国株式市場が揺らいでいる。この事件を米国はどう見ているのか。まずは、1月30日のヘラルドトリビューン紙に掲載された経済学者ポール・クルーグマン氏の記事の概要を紹介する。『エンロンスキャンダルで米国に転機』と題したコラムの主な点は以下の通り。

・このショッキングな事件で、世界や自分たち自身に対する見方が急速に変化している。
・時が経てば、この事件は同時テロ事件以上に米国社会に大きな転機をもたらしたものとして記憶されよう。
・単なる会社の倒産問題として済ませると、事件の重要性を見誤る。米国で最も賞賛された会社が、実は詐欺師だったのだ。
・通常なら、人々は単なる投資判断ミスで片付けるだろう。しかし実際は騙されていたのだ。投資家は中身のないドットコム会社ではなく、実績を伴った成長会社として見ていたのだ。
・今、401Kや会計制度など様々な方面から改革案が求められている。これは不明朗な時代の終焉を意味する。改革にあたる政治家は、これまでのルールの延長線上では改革できない、ということを認識しなければならない。
・このスキャンダルは、全部をひっくり返す事件になるだろう。

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  上の数字はエンロンの財務データ(Data:ブルーンバーグ)。売上高は97年に200億ドル、98年に300億ドル、99年に400億ドルとそれぞれの節目を毎年更新した後、2000年12月期は1000億ドル台へ急増している。売上高ほどではないが、営業利益も堅調だった。97年は7億ドル、98年は14億ドル、99年は13億ドルで推移し、2000年は20億ドルへ増加した。

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  2000年当時は、エンロン株価も最高値圏にある。3月にはNASDAQが5000を超え、その後も4000前後でしばらく推移していた時期である。エンロンは85年7月に誕生以来(天然ガスパイプライン会社のヒューストン・ナチュラルガスとインターノースが合併し、エンロンとなった)、少なくとも表面上は最高の時期を迎えていたと言えよう。まさか、その1年後に破産法を申請するとは誰が予想したであろうか。

  株価は昨年初めから徐々に下落し始め、投資家の不満を高めることになる。今回のような騒ぎのきっかけとなったのは、昨年10月16日にエンロンが発表した第3四半期(2001年7-9月期)の決算。事前予想を10億ドルも下回るマイナス618百万ドルとなったことを発表したのだ。水道・通信・小売りエネルギーの分野に進出するためのコストが原因と説明された。その後、利益の足かせとなった投資損失が、同社CFO(最高財務責任者)が経営する合資会社2社と関連があるとの見方が浮上し、事態は急速に混迷を深めていく。

  当時の格付けはBaa1/BBB+だったが、10月下旬にはS&Pがアウトルックをネガティブへ変更、ムーディーズが長期債務格付けをBaa1からBaa2へワンノッチ引き下げた。短期の格付けも下げるためのレビューに入ったため、足元の資金繰りが急速に悪化。12月2日、ついにニューヨークの連邦破産裁判所に米連邦破産法11条(Chapter 11、会社更生法に相当)の適用を申請するに至った。

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 上のグラフは、ムーディーズのエンロンに対する対応ぶりを見たもの。2001年7-9月期の決算を発表する10月16日、長期格付け(Unsecured Long Term Debt Rating)はBaa1であった。所謂トリプルBBBクラスでは最上級であり(この1段階上はA格となる)、通常業務に大きな支障はない。16日の決算発表から13日たった10月29日に、ムーディーズはBaa2へ格下げを実行。しかし、そのわずか9日後に長期格付けは再格下げとなり、投資適格ぎりぎりであるBaa3まで落ちる。しかし状況の好転が見込めなくなった同じ月の28日、大手格付け会社は一斉に大幅格下げを実行し、エンロンは“ジャンク債”となった。ムーディーズはこの日、エンロンを一挙に5段階下げ、B2(シングルB格の真ん中。)にまで落としている。

  エンロンがChapter 11(更正法)の適用を申請したのはそれからわずか4日後のことである。今年の1月、ムーディーズは企業の格付けを従来より素早く申請する方針を明らかにしている。

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 今回の事件は会計監査に対する信頼を大きく損ねた。上は世界の5大会計事務所。真ん中のアンダーセンが、エンロンの会計監査を担当していた。今年の1月、同社はエンロンの会計監査を担当していた主任格の男性会計士を解雇すると発表している。世界で最も信頼されていた米国会計原則に不信の目が向けられたことは、今後世界の会計制度を変えることにつながるのかも知れない。