第308回 2006年11月25日放送
みのもんたさんが『最もテレビに出ている人』でギネスブックに載ったと言うニュースがあった。そんな、みのさんのライバルの一人といえるのではないだろうか。ジャパネットたかたの高田社長をテレビで見ない日はない。ジャパネットたかたのテレビ番組は週に25本。高田社長によると「若手が今、頑張っているので出演時間は減ってきたが、それでも毎日3時間から4時間は出演している」という。
スタジオは、長崎県佐世保市のジャパネットたかた本社の中にある。自社内にスタジオを作ってしまったのだ。設備はもちろん本格的で、既に1億円を投資して地上デジタル対応も済ませた。しかも、制作スタッフは、カメラマン、照明、出演者等々全員がジャパネットたかたの社員。何故ここまでするのかというと『想いを伝えたい』、そして『スピード化・変化に対応する』ためだった。
想いを伝える・・・高田社長と言えば、あの独特な甲高い声が特徴的だ。しかし高田社長本人は意識してあのような声をしているわけではない。「お客様に買ってほしい。自分がほれ込んでいる商品だからこそ声が高くなってしまう」そうだ。しかも「自分の思いが伝わったと思うと、8〜9割の売上げを予想できる」ほど「想いが伝われば、お客様は買ってくれる」という。そして、その想いを共有するために社員で番組を制作している。
スピード化・変化に対応・・・かつて、福岡や東京の制作会社に番組制作を依頼していたときには、番組が出来上がってくるまでに1ヶ月ほどかかった。しかし、これでは新製品だったものが新製品ではなくなってしまう。デジタル家電の商品サイクルは早く、短期間に売り切る必要がある。「商品は生もの」。だから自社制作にこだわっている。そのタイムリーぶりも凄い。予定していた内容を生放送の直前に変更することも度々ある。臨機応変に番組は作られているが、そのせいか、驚いたことに、台本なしで放送しているそうだ。
高田社長は、生放送を大切にしている。と言うのも、「私の原点はラジオの生放送」だからだ。英語好きだった高田社長は大学を卒業し、1971年機械メーカーに入社。海外駐在などを経て3年後の1974年、実家の長崎県平戸に戻り、実家のカメラ屋を手伝い始めた。そして1986年、37歳になった高田社長は「たかた」を設立し独立。1990年、ラジオショッピングをきっかけに通信販売に乗り出した。そして1994年にテレビショッピングにも進出し、売上げを伸ばしていった。ジャパネットたかたの躍進はまさにラジオショッピングから始まった。
勿論、順風満帆だったわけではない。2004年、顧客情報が流出するという事件が起き50日間にわたって販売を自粛。「反省している。徹底的に社員教育を行うなど、徹底的に改善した」と高田社長は話す。業績が年々拡大する一方で、社内の管理体制の構築が追いついていなかったようだ。
ジャパネットたかたの販売力を支えているのは、高田社長ら番組キャスターの魅力だけではない。キーワードは『生活提案』。消費者もメーカーも『この商品はこういう使い方をするもの』という固定観念を持つことが多い。しかし、ジャパネットたかたでは、そうした固定観念に囚われない商品の利用方法、活用法を提案、ユーザー層や購入機会の拡大を図ろうとしている。例えばデジカメを売るときは、価格や機能だけでなく、「毎年お子様のお誕生日の新聞をカメラに収め、その子が成人したときにそれをプレゼントしたら素敵じゃないですか」と隠れた商品力を視聴者に訴える。サラリーマンが会議の録音に使うことが多いICレコーダーを売るときも、親子間の伝言に使えますよとアピールする。ジャパネットたかたは『生活提案』で新たな需要を創り出しているのだ。
ジャパネットたかたはテレビショッピングの印象が強いが、実は4つの大きな柱がある。売上げの48パーセントはテレビではなく、カタログやチラシなどのカタログショッピング。次がテレビの30パーセント、更にインターネットが12パーセント、ラジオが10パーセントとなっている。様々なメディアを活用する「メディアミックス」がジャパネットたかたの戦略だ。そうすることによって「お客様の選択肢が広がる」からだ。インターネットは去年の12月から動画の生放送も始めた。
ジャパネットたかたのこれからの課題は『脱・たかた』だ。高田社長のイメージがどうしても強いが、「ジャパネットたかたの『たかた』を除いて、『ジャパネット』だけで売れるようにしていきたい」と高田社長は話す。「常に100%を求め、進化し、企業を存続させる」ことが最大の目標だ。
|