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第301回 2006年10月7日放送 京都吉兆 徳岡邦夫 総料理長

料亭といえば、一見さんお断り、紹介がなければなかなか行けないところ。しかも、一体いくらかかるのかも分からない。そんな不透明で敷居の高い世界というイメージがある。一般世間とは一線を画してきたのが料亭文化だ、と言えるかもしれない。しかし、もはやそういう時代ではないと、改革に乗り出した高級料亭がある。京都吉兆だ。

吉兆の創業者・湯木貞一氏〈1901年生まれ〉は天才料理人といわれ、1979年の東京サミットで世界の要人たちを感嘆させ、料理人として初の文化功労者となる。キャビアやフォアグラ、ワインなど、まだ日本料理には珍しい食材を取り入れ、四季を盛り込んだ料理は各界の著名人や実力者のファンも多い。その吉兆は5つのグループ会社に別れていて、その一つが京都吉兆。そして、その総料理長を務めているのが、湯木貞一氏の孫にあたる徳岡邦夫さんだ。

徳岡さんが京都吉兆の改革へと突き動かされたきっかけは、「京都吉兆がつぶれた」という根も葉もない噂。夜遅くタクシーに乗ったとき、運転手から聞かされた。当時は、バブル崩壊後の不況真っ直中、閉店に追い込まれる料亭が後を絶たなかった頃で、徳岡さんは危機感を抱いた。このままでは、京都吉兆ばかりか、料亭という日本の文化そのものが衰退してしまう。

改革を決意した徳岡さんはこんなキーワードを掲げた。『変える勇気と変えない勇気』。価値あるモノはそのままの姿で残るべき。そして、残すためには変えるべき所を変えないといけない。躊躇することなく、勇気を持ってことにあたらなければいけない、という決意だ。そして具体的な行動指針として掲げたのは3つ。(1)情報公開 (2)オリジナリティーの追求 そして、(3)サービスの向上。

まず情報公開では、インターネットをフルに活用した。「一回行ってみたいけれど、とても不安」というのが料亭の値段。京都吉兆はHPで、ご昼食は36750円から、ご夕食は42000円から、などと公開した。予約もインターネットで受け付けるようにした。紹介なしでも予約はOK。一見さんお断りという見えない壁を自ら壊した。そして、2002年には松花堂店をオープン。昼の松花堂弁当は3500円、夜のコースでも8000円からと、京都吉兆の味を多くの人に身近なものへしようという取り組みもしている。こうした努力の結果、いまや京都吉兆を訪れる客のおよそ半分が一見の客だ。

改革の2つ目は従来の常識に囚われないオリジナリティーの追求。メニューはもちろんだが、基本調味料にまでこだわっている。市販のものを使わず、オリジナルの醤油まで開発した。オリジナルワイン、吉兆ブランドの米、グラスや箸もオリジナルだ。こうしたこだわりを随所にちりばめて「吉兆でしか味わえない特別感」を演出している。

改革の3番目はサービスの向上。徳岡さんが、そのために最も力を入れているのが人材の確保と教育だ。「料亭は調理場とお客様のいる場所が離れているため、お客様の状態を知る為には仲居さんの力量が重要になる」と言う。そのために優秀な人材が欲しい、そう考えた徳岡さんは、ここでもインターネットを活用した。厨房で働く料理人以外の新入社員をインターネットで広く募集をしたのだ。その結果、京都周辺だけでなく北海道や沖縄からも応募があり、広く人材を求めることが出来るようになった。

また大手企業でリストラが相次いだことや、就職氷河期と言われる程の就職難も京都吉兆の採用活動にはプラスになった。大手企業を目指すという従来の価値観に囚われずに、自分の生き方を考える学生や職業を通して高いスキルを身につけようという学生も増えてきた。そうした学生達が料亭を就職先に考え出したのだ。『料理屋に大卒は要らない』というのがそれまでの常識だったが、京都吉兆は違う。京都吉兆では今、インターネットに加えて大学の就職課を通して大卒の募集を行うようにもなった。

仲居さんの平均年齢は20代半ばと若く、英語やフランス語が堪能なスタッフも増え、海外のVIPも多い吉兆で活躍している。若い仲居さんについて徳岡さんは「若いので体力があり、提案を受け入れる感性があり、共に成長できる人たち」と高く評価している。若いだけに教えるべきことも多くあるが、仲居さんは「吉兆の未来を作る」大切な存在。そして、「いつか、フランスのように、サービスをする人が勲章をもらえるような地位を向上させたい」と徳岡さん考えている。

また、徳岡さんは、京都だけでなく世界をも見据えている。国際料理サミットに参加し、京都の食材を世界へ伝える努力をしているのだ。それは京都吉兆の為でもあると同時に、吉兆に食材を提供してくれる第一次産業、日本の農業を活性化させたいという思いもある。日本では素晴らしい食材を作っている農家でも後を継ぐ人に恵まれない。徳岡さんは、農業をビジネスとして十分に成立するようにして、そうした状況を少しでも改善できればと考えているのだ。徳岡さんは「お皿の向こうに生産者がいる」と何度も話していた。

嵐山吉兆の玄関先には「玄之又玄」と書かれた看板が掲げられているが、それは一流中の料理人が迎え、一流の客が集まるという意味。その一流という意味が、時代と共に変わってきているのかもしれない。

語録 〜印象に残ったひと言〜
  • 変える勇気と変えない勇気
  • お皿の向こうに生産者がいる
  • 玄之又玄
亜希のゲスト拝見

吉兆は残念ながら伺ったことがありません。もちろんその名はよく存じ上げています。でも、私も多くの方同様、私のようなものは入れないとばかり思っていました。門戸は広がっていたんですね。価格はさておき、と言ってしまいそうですが、こだわりは驚くほどです。例えば盛り付けにしても「テーブルのどの位置に皿を置くのか」「外の庭はそこからどう見えているか」「お客様はどのように座っているか」まで考えて盛り付けをしているそうです。美意識が非常に高く、きめ細やかなのです。

創業者の天才ぶりも大変なものだったようです。「美味しさには幅がある。湯木の凄さは、その中にある一点を一人ひとりの客のために、常にぶれずに指し示すことが出来た」ということを徳岡さんから伺いました。

今では当たり前のようにあちらこちらにある松花堂弁当を始めたのは、実は湯木氏。石清水八幡宮の僧・松花堂昭乗が、もともとは農家の種子入れだった小さな箱を小物入れとして使い始めたのが江戸時代のはじめの頃。その後、昭和の時代になって、その箱を弁当箱に使おうと湯木氏が発案したのだそうです。松花堂って人の名前だったんですね!

吉兆に入門するまでサッカー選手やミュージシャンになりたかったという徳岡料理長の爪は深爪と思うくらい短く整えられています。創業者・湯木貞一氏の心は確実に伝わっているようです。

そうそう、早速、吉兆のインターネットのHPを見てみました。一番人気の竹箸は注文が殺到しており、注文出来ませんでした。残念。