第281回 2006年5月20日放送
開幕が迫っているFIFAワールドカップ・ドイツ大会。日本中がサムライブルーに染まりつつある中、「ワクワク所ではない。お正月とお盆とクリスマスがいっぺんに来たような気分だ」と話すのは、モルテン代表取締役・民秋史也氏。それもそのはず、今回のワールドカップの試合球を製造しているのだ。正確にはFIFAとアディダスが共同開発した試合球「プラスチームガイスト」にモルテン独自の特殊なパネル接合技術を提供し、その製造を全て請け負っている。
モルテンは、およそ50年前の1958年に広島に誕生した。当時はまだゴムを『護謨』と漢字で書いており、広島から東京まで16時間もかかっていたが、そんな時代に社名をカタカナで「モルテン」と付けた。意味は英語の溶ける『MELT』の過去完了形『MOLTEN』から来ている。原材料を完成品にする・溶解する・古いものを新しいものに脱皮させるという想いが込められている。設立の翌年にはボール第一号を完成させ、そのまた翌年には日本バスケットボール協会と日本バレーボール協会から検定球として認められた。今ではサッカーやバスケットボールなど競技用ボールの製造販売で国内トップ。バスケットボールは、オリンピックで6大会連続採用され、サッカーボールはJリーグの唯一の公式試合球でありセリエAでも使われている(パルマF.C./A.C.キエボ・ヴェローナ)。競技用ボールの市場シェアは国内で65%とトップ、海外でも13%と世界的なメーカーなのだ。
こうした実績を支えるのが『技術力』だ。例えば、従来のサッカーボールは「亀甲型」と呼ばれ、白と黒のパネル32枚を手縫いで縫い合わせて作られる。熟練した職人が作業をしても一日に2個から2.5個しか作ることが出来ない。それだけの手間がかかっているのだが、縫い目の部分は厚くなり硬さが均一にはならない上、表面に凸凹が出来てしまうため、ボールコントロールに影響が出るというのだ。ところが、ワールドカップ・ドイツ大会で採用された「プラスチームガイスト」は、ひょうたんとスクリューのような形をした2種類のパネル14枚を特殊な技術で熱接合、縫い目がないためボールの表面はなめらかで硬さも均一になった。その結果、ボールのコントロール性だけでなくスピードもアップ、「サッカーを変える」とまで言われている。そんな「プラスチームガイスト」で使われている特殊な熱接合技術こそモルテンが開発したモノだ。
「ボールの技術は常に右肩上がり」と民秋社長は言う。4年に一度のワールドカップを舞台にサッカーボールは進化しているのだ。この大会は「ボール業界に4年に一度訪れるいざなぎ景気」である為、ボールメーカーは4年以上の月日を掛けて開発を行う。勿論、激しい競争を勝ち抜くため一切が極秘裏に進められる。ちなみにドイツ大会で使われる「プラスチームガイスト」は4年前の日韓大会の更に2年前から開発がスタートした。モルテンの理想のボールは「思い通りに飛ぶボール」ということなので、「プラスチームガイスト」はそれに一歩近づいた。しかし、スピードは速くなり、しかも野球のナックルボールのように不規則な変化をするので、ゴールキーパーには辛いボールだそうだ。
モルテンは徹底した『現場主義』にもこだわっている。民秋社長はこれを『4つのゲン』という。「現場に行って、現況を見て、現品を見て、原因を現場の皆で話し合う」。こうすることによって、じかに消費者の声を聞き、消費者と共に商品開発が出来る。民秋社長自身、1年のうちの3分の1を本社のある広島で、残りを東京と海外(モルテンは海外に15箇所の営業所と工場を持つ)で過ごす現場主義者で、社員には「鞄があるところが社長室だ」と言っている。「情報は現場にある。東京は2次加工情報が集まってくるだけ。だから本社が広島にあっても不便はない」と考えている。
モルテンの現場、ボールを販売している地域は既に103カ国にまで広がっている。その中でも中国には今最も注目している。中国のマーケット規模は120億円(日本は210億円)、スポーツ人口は4億5000万人、プロスポーツ人口は1000万人だが、元々世界一の人口を持ち近年の経済性で購買力も高まっている。その上、2008年には北京オリンピックがあって将来性は非常に高い。そんな中国にモルテンは新しいボール工場を建設、2010年には年間700万から800万個を生産する世界最大規模の工場となるという。現在のモルテンの中国シェアは0.05%しかないが、10年後には10%、将来的には20%にすることが目標だ。ボール業界にとっても中国は巨大市場だ。
日本国内に目を転じると、少子高齢化でスポーツをやる人の数が減っているように感じられるが民秋社長の見方は違う。「マーケットが変わることは、新しいチャンスを投げかけてもらっているということ。その時代に対応すればよい。学校体育を中心に見ているから視野が狭くなる」と話す。例えば、幼稚園児には、ボールを怖がらないように、風船より少し硬い程度のやさしいボールを作る。高齢者には楽しく遊べるよう、柔らかくて軽い、そして落ちてくるスピードがゆっくりとしたボールを開発。このようにターゲットを細分化してマーケティングをすれば市場は広がると考えている。例えば、バレーボール一つをとっても20種類のボールをモルテンは作っている。
また、モルテンはボール以外の事業も手がけている。「材料がゴムかプラスチックで、中の空気を調整する技術が生かせるなど、モルテンが持っている既存のノウハウで作れるものなら何でもやる。ただし、それ以外は手を出さない」と言うのが民秋社長のスタンス。具体的には、浮き桟橋や樹脂製の瓦などで「水が漏れない、軽い、落ちない」という樹脂の性質とモルテンの技術を生かした製品だ。また、健康用品にも力を入れていて、寝たきりの床ずれを防ぐエアマットが主力商品。これはボールに空気を入れる技術を応用したもので、国内シェアナンバー1の商品だ。
日本代表はワールドカップで決勝まで行くかどうか分からないが、モルテンの技術が使われ、モルテンが製造している「プラスチームガイスト」は、決勝まで必ず行く。そんなボールの勇姿を民秋社長は現地で観戦するそうだ。出来ればそのボールを蹴っているのが日本代表だと更に嬉しいのだが。
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