第274回 2006年4月1日放送
アナログからデジタルへ、放送が変わろうとしている。日本では2011年から、アメリカではそれよりも早い2009年から、欧州では国ごとに違うが概ね2007年から2012年の間にデジタル放送へと切り替わる。これをきっかけに「新しいテレビに買い換えよう」という需要が急増、世界各地で薄型テレビ戦争が激しさを増している。
その薄型テレビの代表といえば『液晶テレビ』と『プラズマディスプレー』。かつては『大きい画面はプラズマで、小さい画面は液晶』というイメージがあったが、今では液晶テレビの大画面も登場、液晶人気がグンと上がった。業界団体がまとめた去年一年間の液晶テレビとプラズマの国内出荷台数を見ても、液晶の421万7000台に対して、プラズマは46万8000台。液晶はプラズマより10倍も売れている。
そんな液晶テレビを開発、優勝劣敗の激しい業界の中で勝ち組の代表格として名前が挙がるのがシャープだ。液晶テレビの販売台数はこの5年間で9倍に膨らみ、業績も順調に推移している。そのシャープの先頭に立つ町田勝彦社長が標榜しているのが「オンリーワン経営」。並み居る大手家電メーカーとの差別化を図るには「同じ土俵で押し相撲してもだめだ」と言うのだ。
町田勝彦さんが社長に就任した1998年、シャープのオンリーワンと言える商品は液晶テレビだった。町田社長は液晶テレビ推進の旗を振る。そもそも「新しいものにチャレンジし、失敗を許すという企業風土」があるシャープ。社長と社員のベクトルが液晶テレビで一致したとき、「信じられないスピードで進み出した」と言う。
シャープの創業者早川徳次氏は「他社が真似するものを作れ」、2代目社長佐伯氏は「需要を創造しろ」と話した。3代目社長辻氏は「ユーザーの目線に合った独自の商品を作れ」と言い、現社長の町田さんは「オンリーワン戦略」を掲げる。それぞれ表現は違うが、新しいものを作ろうという精神が脈々と受け継がれていることが分かる。シャープが生み出した商品には『初』が付くものが実に多い。1915年に発売したシャープペンシルに始まり、1925年には国産初のラジオ、1953年には国産初の白黒テレビ、1962年には国産初の電子レンジ、1964年に世界初のオールトランジスタ・ダイオードによる電卓を作った。実は、このオールトランジスダイオードの開発が今のシャープの液晶の大きな礎となっている。電卓の表示版の消費電力を減らすために開発した液晶版が今の液晶テレビの基本となり、如何にコストダウンさせるかを考えて開発したLSIが今の半導体技術につながっているからだ。
また、町田社長が強いこだわりを持っているのが国内でのモノづくりだ。そのために徹底したブラックボックス戦略で技術の流出を防止。液晶テレビの心臓部分であるパネルの製造も日本国内に限定。世界5拠点にある工場では簡単な組み立てだけを行う。
国内のモノづくりを守るための取り組みはもう一つある。高度な技能を持つ社員を「匠」に認定する『匠制度』。「ハイテクの技術も大切だが、メーカーにとって、プレスや成型、塗装などの匠の技術がきちんとしていなければメーカーとは言えない。こういった日が当たりづらいが、大きな縁の下の力持ちとなっている匠にもっとスポットを当て、モチベーションを高め、次世代へと技術を伝承できるようにする」のが狙いだ。「最後は人」なのだ。
町田社長は、これまで国内で5つの工場を建設し2つを増強した。中でも亀山工場は、『亀山ブランド』生み、そこで作られている液晶テレビを指名買いする客が現れる程の人気振り。「工場がブランドになるのは家電業界では初めて。日本で作られているモノが認められている」と言える。
では、液晶テレビに次ぐシャープのオンリーワンは何か。それはソーラ−システムだと言う。シャープでは40年も前から太陽電池の研究を続けているが、芽がでてきたのはここ数年のこと。チャレンジ精神を尊重するシャープの企業文化を象徴している。「環境問題が世界的な問題となっている今、クリーンなエネルギーを造り出すソーラーシステムは確実に需要が高まる。環境技術はメーカーの命になる」と町田社長は見ている。
「技術に成熟はない」と話す町田社長。「新しい技術とは技術と技術の組み合わせ。A+Bが化学反応を起こし、ABを生み出すのではなく、全く新しいCを生み出すことによって新しい技術が誕生する」。今後、我々の生活の中に、どんなMADE BY SHARPの商品が入ってくるのだろう?
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