第235回 2005年6月25日放送 「水着ですか?お好きな色は何ですか?色もデザインも自由にお選びいただけます。全部で200万通りもあります」と言われたらビックリしてしまう。しかし、これは本当の話なのです。福井市に本社を構える繊維メーカーのセーレンが開発した「水着ナビ」というシステムだ。客はデパートの店頭にある1台のパソコンを使って、希望する色やデザインを選び自分のサイズを入力すれば、2週間後に世界で唯一つしかないオリジナル水着が届くという仕組み。バブル経済の頃のように、皆で同じ格好をしていた時代から、「人とちょっと違う感じにしたい」とおしゃれも進化した今、自分だけの水着を作れると評判だそうです。 この「水着ナビ」は、セーレン独自の「ビスコテックス」(Visual Communication Technology System)と呼ばれるコンピュータ技術によって支えられている。かつて染色というと10〜20色しか出せなかったが、この「ビスコテックス」では1677万色も表現することができる。これだけ色彩が豊富だと、例えば名画を生地に染色しても本物と見分けがつかないほどだ。もちろん、生地に写真をプリントするのとは違って、テカテカして感じもなく、感触も生地のままだ。 「ビスコテックス」の特徴はこれだけではない。デジタル処理するため、かつては注文から納品まで6ヶ月〜1年もかかっていた作業が、最短5時間にまで大幅に短縮された。また、超多品種少量生産が可能になったため、在庫ロスもなくった。工場内の環境も清潔で静か。かつて蒸気と臭気があふれ、3Kの代表のように見られていた染色工場の面影は今やセーレンの工場には全くない。 このような新しい繊維メーカーの姿を作り上げたのが川田達男社長だ。「今、ライバルはいない」と語る川田さんだが、大成功の裏には決して順風満帆とはいえない道のりがあった。繊維産業は、かつては日本の基幹産業として日本の外貨の3分の1を稼ぎ出すほどの勢いがあった。しかし、1971年のニクソン・ショックや2度のオイルショックを経て、日本の繊維産業は急速に勢いを失い、斜陽産業の象徴のようになってしまった。セーレンも「明日どうなるか分からない」というほどの苦境に陥っていたのだ。 どん底の中、川田さんは47歳の若さで社長に大抜擢された。しかし、決してエリートコースを歩んできた人ではない。「今の常識を打ち破らなければならない」と新人研修の頃から発言する異端児ぶりで、そのため左遷の連続だったそうだ。まず最初に、大学卒として初めての染色工場の勤務。しかし、ここで経験した7年間は「企業を変える重要な現場主義を学ぶ、とても大事な時期だった」と振り返る。35歳の時には、当時のセーレン社内では窓際的な新規事業部門に移された。しかし、ここで川田さんは、その後のセーレンにとっても大きな転機となるものに出会った。それが「自動車シート」である。 当時の自動車シートは全て塩ビ製だった。自動車メーカーは、10年以上の耐久性があり、もっと高級感のあるシート用素材を探していたことを知り、川田さんは「繊維でできる」と提案。最初は「繊維で大丈夫なの?」と不安がられたが、川田さんには自信があった。染色会社だったセーレンが、業界の枠を超えた瞬間だ。現在、この自動車向けビジネスは、全売上高の約48%を占める主力事業に成長している。 そんな型破りの川田さんが、1987年に社長就任直後に打ち出した大改革が、(1)情報化・流通ダイレクト化、(2)非衣料・非繊維化、(3)グローバル化の3つだった。いずれも、「命を賭けて染色産業から脱皮しなければ生きる道はない」との強い危機感の表れだった。 まだITという言葉すらない時代に、デジタル技術の持つ大きな可能性に夢をかけ、技術陣のネガティブな意見にも耳をかさずに邁進し、「ビスコテックス」という独自技術を確立した。また、繊維業界は各工程ごとに業種が細分化されていたが、川田さんは、この業界秩序を打ち破り、次々と事業領域を拡大していったのだ。 そんなセーレンが、今、大きな注目を集めている。経営に行き詰まり、産業再生機構の支援の下で再生を目指すカネボウの繊維事業を買収したのだ。かつての染色会社が、巨大な原糸メーカーを取り込んでしまったわけだ。これによってセーレンは、デザイン・企画から原糸の製造、染色、小売販売まで一貫して手掛ける、世界でも初めての総合繊維メーカーと変貌を遂げた。川田さんの長年の夢が実現した瞬間かも知れない。 現在、売上高715億円、経常利益50億円、従業員3508人にまで急成長したセーレンのビジネスモデルを追随したい企業は少なくないだろうが、川田さんは「追いつくのは難しい」と自信を覗かせる。セーレンのソフト力、ビスコテックスなどのハード力、そして何よりも100年間に蓄積された技術とノウハウは、そう簡単に真似できないからだ。 最後に川田さんは、元気をなくしている企業に対して、次のようなアドバイスをしてくれた。「よく『ウチの会社には何もない』という人がいるが、企業が生き残っているからには何かがあるはずだ。ただ、自分たちでそれが何かを気づいていないだけだ。全ての業種には成長の遺伝子がある」と。 |