第232回 2005年6月4日放送
果たして「地方銀行は必要なのか?」と論じられることも多いが、「我々には日本企業の約9割を占める中小企業と共存共栄する重要な役割がある」と強調するのが東日本銀行の鏡味徳房頭取である。
東日本銀行は第二地銀でありながら、東京都に45店、茨城県に13店、神奈川に9店、そのほか埼玉・千葉・栃木など1都5県という広範囲に合計76の本・支店を構えている。色々なところで『東日本銀行』の看板を見かけるはずだ。業績も好調で2期連続の最高益を達成している。
東日本銀行の前身は1942年に茨城県水戸市にできた『常盤無尽』。その後、相互銀行に転換し、1975年に東京と日本橋に本店を移す。1989年に普通銀行に転換し、名称も東日本銀行に変更した。しかし、組織や名称は変わったものの、80年の歴史の中で1度も合併をしていない。激しい金融再編の中にあって合併をしなかった理由は、「東日本銀行のカルチャーを大切にしたい」という強い思いが代々受け継がれてきたからだ。鏡味頭取も「合併するとカルチャーが薄れてしまうリスクがある」と語る。
東日本銀行が大切にするカルチャーとは何だろうか?それは、『FACE TO FACE』を大切にする地域密着型の庶民的な銀行であることだ。「営業地域をただの『面』とは考えず、顧客一人ひとりを考える『点』の営業を行っている」とのこと。
それは独特の営業スタイルからも伺える。東日本銀行の営業マンは基本的に自転車で客先に出向く。いや、むしろ自転車で行ける所が営業範囲と言ってもいい。そして取引先に行けば、取引先が抱えている心配や相談事に熱心に耳を傾ける。中小企業の経営者の中には現場の仕事に忙しく、経営まで手が回らないケースも少なくないという。だからと言って、コンサルタント会社に依頼する時間も資金もない。そこに東日本銀行の大切な役割があるのだ。鏡味頭取も「今、我々のように企業訪問をしている銀行は少ない。しかし、そういう企業訪問を求めている中小企業は実に多い」とみている。
こうした営業スタイルは銀行マンにとっても有益だという。若い頃から取引先に足繁く通い、相手の懐に深く入っていくことは、銀行マンにとって格好の「On the Job Training」になるのだ。顧客のニーズに対して親身に取り組み、仕事を通じて自らも鍛えてもらう。まさに「東日本銀行と取引先は共存共栄の関係」だと鏡味頭取は強調した。
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東日本銀行の特徴は営業スタイルだけではない。バブル期に銀行が取引先の担保だけみて過大な融資を行ったことが、その後の深刻な不良債権問題を引き起こした。しかし、東日本銀行は、取引先の経営者や従業員の質、工場の様子や技術力の高さなどを見て融資するという姿勢を一貫している。そのため、取引関係も実に長くて深い。
例えば、東京都内でオフィス向けのイスや机などの家具を製造販売している『イヨベ工芸社』もその1つ。創業当時は社長を含めて僅か3人しか人がいない典型的な零細企業だった。しかし、東日本銀行の当時の担当者は、社長の職人としての腕と熱意を高く評価し、融資に踏み切ったという。それだけではない。事務や会計処理の仕方から会社経営のノウハウまでを教え、忙しい時には給料の袋入れまで手伝ったそうだ。
そうした努力が実って、現在、イヨベ工芸社は従業員120人を抱えるまでに成長し、数々のグッドデザイン賞にも輝いた。さらに海外市場にまでビジネスを展開しているという。イヨベ工芸社の社長も「もう40年間の付き合いだが、ピンチのときに手を差し伸べてくれた」と東日本銀行に高い信頼を寄せいている。まさに銀行マン冥利に尽きるということだろう。
銀行大競争時代と言われ、地銀は1県に1行で十分という人もいるが、鏡味頭取は「各地域に拠点が複数あって互い切磋琢磨できる方が、顧客にとっても良いはずだ」と、まだまだ続きそうな金融再編の荒波を「全員参加型の地域密着営業」で生き残っていく考えだ。
人を見て融資をするという銀行本来のあり方を一貫して守り続ける東日本銀行。その真の実力が問われるのは、まさにこれからなのかも知れない。
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