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第221回 2005年3月19日放送京セラ 稲盛和夫 名誉会長

『至誠』・・・京セラの生みの親であり経営の神様と呼ばれる稲盛和夫氏が、これからの若い世代に送るメッセージだ。何事も誠実であれば踏み越えられないこともないし、誠実であれば一目置かれる、という想いが込められた言葉だ。しかし、決してイエス・マンになればいいということではない。異端から新しいものが生まれるとも稲盛氏は考えており、正しいことをやりたいという若者の勇気ある行動を応援している。それもそのはず、稲盛氏ご自身も、若き頃は異端でありながらも 数々の勇気ある行動を起こし、一代で売上高4兆2000億円、社員5万人という 大企業に育て上げた成功者なのだ。

しかし、ご自身は「20代まで運がまったくない人間だった」と語る。医師になりたいと医学部を受けるが失敗。地元の鹿児島大学工学部応用科学化に入学し、卒業しても就職難で就職先が決まらない。そんな時、教授の紹介で技術者として今にも潰れそうな送電線用碍子の会社に入社。研究活動に没頭して様々な新しい素材を開発したものの、上司から「今やっている研究はやめろ」といわれ、もともと喧嘩早い性格だった稲盛青年は、その上司と喧嘩をして会社を辞めてしまう。辞めてしまったものの、このときに感じた「研究を一生懸命やれば成果が出る」という実感が4ヵ月後の次の挑戦の原動力になった。

その挑戦とは、京セラの前身・京都セラミックの起業。1959年4月1日、稲盛氏27歳の時だ。社員は28名、その中には前の会社の上司と部下もいた。若き稲盛氏の可能性と人間性について行こうと決断した人々だ。この時から幸運の風が吹き始める。新会社が取り扱ったテレビ用部品のセラミック製U字ケルシマの注文が殺到。日本の急激な経済成長によるテレビ普及台数の急増で工場はフル稼働、経営が軌道に乗り始めたのだ。

しかし、経営については全くの素人。そこで憧れの松下幸之助や本田 宗一郎らの経営術を学び、独自のキャッシュフローの見方などを学んだ。また創業3年目で浮上した労使問題を解決する過程で、「労使はパートナー。家族の一員」という考え方が生まれ、稲盛イズムの原点『利他主義』に進化していった。利他主義とは、人のため世のためを想い仕事をすること。そして利益が出れば会社に還元されるという考え方だ。こうした大義名分は非常に大事なことだという。「企業の寿命は30年。それ以上続けるためには、共感できる想いが必要。その想いがあれば大きな力になる」からだ。

次なる大きな挑戦は世界進出だった。当時の日本は、大手財閥系など系列の枠が固く、その中に新規で食い込むことは非常に難しかった。そこでアメリカに目を向けた稲盛氏は、単身で渡米。しかし、なかなか会ってもらえない。1966年にその努力が報われた。あのコンピューターの巨人・米IBM社からコンピューターの心臓部に組み込まれる基板の大量注文を獲得したのだ。この出来事で「あのIBMが注文するなら」と、日本企業からの注文までも獲得し、京セラの技術と名が世に知れ渡ることとなった。

1970年代には半導体事業とその関連事業で更に大きく発展。 71年には株式上場を果たし、その4年後に株価でソニーを抜き、日本一になった。さらに京セラは宝石にも挑戦した。セラミックの結晶技術で人工サファイヤやルビーが使われていることを突き止めたのだ。そして1975年にブランド 『クレサンドール』として商品化に成功した。

またM&Aにも挑戦。トランシーバーメーカーと合併し電子機器の製造を始めたり、カメラメーカーのヤシカと合併して光学機器の分野にも参入した。そして1989年に「100年に一度のチャンス」が訪れる。たった20人の第二電々企画株式会社を設立し、巨大独占企業・電電公社に対抗したのだ。発端は、稲盛氏がアメリカで知った通信料の安さだった。「通信料を安くすれば世の人のためになる。誰もやらないのであれば私がやる」と立ち上がり、世間から『象とアリの戦い』といわれた戦いに挑んだ。この戦いは、独自の発想で善戦。そして国際通信会社のKDDと携帯電話のIDO2社を合併し、KDDIに生まれ変わり、この分野でも大きく発展したのは周知の通り。

ベンチャーの先駆けとして挑戦し続けている経営の神様のノウハウ は、日本中の若手経営者達にも伝えられている。1983年から始まった『盛和塾』。 塾長は稲盛氏、塾生は3200人以上。日本の56箇所のみならず、海外に5箇所(ブラジル・アメリカ・中国)の拠点を持つ。卒業生から上場した企業は100社以上、上場予備軍も100社以上。卒業生にはソフトバンクの孫社長、ブックオフ の坂本社長、ユニチャームの高原社長などがいる。教えは『利他主義』を中心に、細かいキャッシュフローの見方まで も教えている。「大きな経営論から細かい財務までを精通していれば、事業に失敗することはない」のだ。

稲盛氏が設立した『京都賞』も注目されている。今年で21年目を迎えるが「私も資産家と呼ばれるようになった。今度は世の中に返してゆく番だ」と、私財200億円を投じてスタートさせた。まさに利他主義の発想から生まれた賞だ。さらに稲盛氏は、中国で貧しい学生のた めの基金を設け毎年360人に奨学金を送ったりもしている。

それでは稲盛氏は、日本の今後のあるべき姿をどのように捉えているのだろうか。「日本は少子高齢化が進み、今の経済力を大きくするのは不可能。この時代に必要になるのが『品性』のある国だ。周りの国々から尊敬される国にしなければならない」と強調した。精神的に大人にならないといけないのだ。茶道や剣道など日本伝統の芸事は『礼』を重んじている。日本人の大切なDNAでありながら、心の奥底に忘れてしまった日本人らしさを探す取り組みが、今、求められていると感じた。

語録 〜印象に残ったひと言〜
  • 若い世代に送るメッセージ「至誠」「利他主義」
  • 労使はパートナー・家族の一員
  • 企業の寿命は30年。それ以上続けるためには共感できる大義名分が必要
  • 異端から新しいものが生まれる
  • 第二電々は100年に一度のチャンスだった
  • これからの日本には、周りから尊敬される『品格』が必要
亜希のゲスト拝見

「いつ潰れるのだろう?」。巨大企業・京セラを築き上げた稲盛名誉会長は、今でも心配になるそうです。幼い頃に仏教を習い、その影響で手を合わせて挨拶される。子供の頃、売られた喧嘩を買ってしまったり、ブツブツ文句を言っていた人には見えない、とても穏やかな方です。また、お会いした時につけていらした人工サファイヤの指輪とオパールのネクタイ・ピンについて楽しそうにお話になる姿。しか し、「まだまだ反骨精神はあります」というパワー・・・。この色々な側面が、稲盛さんの魅力であり、多くの人を惹きつけるのではないでしょうか。

また、金儲け第一主義が賞賛さえされる感のある最近の日本ですが、稲盛さんのように私財を投じて京都賞を作ったり、地元の人のことをまず考える経営の方が、難しい経営理論や細かい経営戦略よりも大事なのではないかと感じました。お金の量ではなく質をもっと考えないといけないのかもしれません。

それから、稲盛さんがおっしゃっていた「品性」。確かに品の良い人と話していますと、どんな学歴や宝石にも叶わない力があり、ついつい敬語を使ってしまうことがあります。日本を品格のある国にし、世界中から真似されるような国にしたいですね。。