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第203回 2004年11月6日放送国際交流基金 小倉和夫理事長

中東情勢が混迷を深める中、2004年10月、イラクの演劇団が彼らの文化や平和へのメッセージを伝えるため日本にやって来た。この公演を実現させるうえで大きな役割を果たしたのが国際交流基金である。

国際交流基金は、1972年に日本の国際文化交流を推進するために設立された唯一の公的機関。2003年からは独立行政法人となっている。海外に19事務所を構え、年間事業費は120億円、職員数232人(2004年度)の組織だ。その理事長を務めるのが、外交官としてベトナム大使、韓国大使、フランス大使などを歴任した小倉和夫氏。

国際交流基金の主な事業は以下の3つである。
(1)文化芸術交流
日本の文化を海外に紹介したり、海外の文化を日本に紹介する。「相手に理解してもらうためには、相手を理解しなければならない」と考える小倉さんは、最近、『文化力は国力』と言われることに対して、「文化は人に押し付けるものでもなく、国家のものでもない。文化とはお互いを豊かにする、個人個人のものである」との考えを示した。

(2)文化芸術交流
驚くべきことに、海外で日本語を学ぶ人が増えているそうだ。2003年度は235万人が日本語を学んでおり、5年前と比べると15%も増えている。日本のアニメや音楽、電化製品などが世界中に普及し、特に若い人の間で日本に興味を持つ人が増えてきているからだそうだ。まさに小倉さんがおっしゃるように「日本語は手段だけでなく文化の発信」となっている。

(3)日本研究と知的交流
日本の真の実情を理解してもらうための日本研究や、異文化交流などを促進している。最近は中東との事業が増えているとのこと。「なぜ日本が自衛隊をイラクに派遣しているのかなどの日本の真意を、もう一度中東の人に理解してもらうと同時に、中東について日本人がもっと理解するためだ」と、小倉さんは異文化交流の大切さを強調された。

それでは小倉さんは、現在の日本の外交のあり方をどう見ているのだろうか。まずは対米外交。「韓国人は、日本を好きな人より嫌いな人の方が多い。しかし、日本は重要かと聞くと圧倒的に重要と答える人の方が多い。要するに、外交は好き嫌いでやってはいけない。冷静に客観的に見て、世界平和と国益のためになるかを見極めなければならない。日米関係が一番大事ではない」と小倉さんは考えている。一方、アメリカの外交については、「アメリカは世界のためにやっていると言いながら、実は自国のためにやっている。だから、世界中から摩擦が起こる」との考えを示した。

さらに日本の対アジア外交については、「アジアというコンセプトが分からなくなっている。かつてアジアの中で経済的に豊かだった日本はアジアの中には入っていなかった。しかし、最近は日本も加えて意味も分からずにアジア、アジアと言っている。だが、海外新聞のアジアのページに日本のニュースはほとんど載っていない。もっとアジアどうしがお互いを知り、意識を高め、アジアとは何か考え直さなければならない時期が来ている」と述べられた。日本の歴史を紐解いてみてもアメリカ外交にシフトしたのは明治以降、それ以前は対中・対アジア外交だった。小倉氏が周りの人々によく言うことがある。「今のアジア外交は対欧米外交の方程式の1つの関数にすぎない。対アジア外交は独立して考えるべきだ」と。

それでも「日本の外交は80点ぐらいだ」と評価する小倉さんに、今、日本は何を改善すべきなのか聞いた。小倉さんは「文化交流の1番の目的は、反日・排日・無日(日本を知らないと言う意味の小倉理事長の造語)をなくすこと。しかし、日本人は外国人を避けたり無視したりしてしまうことが多い。これでは日本に興味を持って来日した人が日本のことを嫌いになってしまうことすらある。私たち日本人の国際化が重要である」と指摘された。また「日本人は説明の仕方が相当ヘタだ」「日本は国際社会に何を訴えるのか?日本国民はどのような理念を共有するのかなどを立て直さなければならない。そのためには過去の歴史の中から日本人の精神を見つけ出す努力が必要だ」と強調された。

語録 〜印象に残ったひと言〜
  • 相手に理解してもらうためには、相手を理解しなければならない
  • 世界の235万人が日本語を学んでいる
  • 文化は国力ではなく、お互いを豊かにするもの
  • 好き嫌いで外交をやってはいけない
  • 反日・排日・無日をなくす事が文化交流の一番の目的
  • 日本の今のアジア外交は対米・対欧外交の方程式の中の1つの関数にすぎない
  • 過去の歴史から学べるものがある
亜希のゲスト拝見

小倉理事長のお話はそのまま本に出来そうな内容の濃いものでした。また身なりがとてもフランスっぽい(私は旅行でしかフランスに行ったことしかありませんが・・)。

スタジオに入ってこられた時に手にしていたのが様々な色でマーキングされているメモと、年齢のことを申し上げるのは大変失礼ですが、1938年生まれの方には珍しく結婚指輪をしていらっしゃいました。

ポケットチーフも定番の白ではなくグレー。そして「国際交流の話をするので」という理由で歌舞伎色のネクタイをされるオシャレ心もエスプリでした。