第199回 2004年10月9日放送 日本人は世界で最も魚を食べる国民だ。そんな日本の食卓に魚を提供し続けてきたのが水産業界最大手のマルハである。マルハの創業は1880年(明治13年)。鮮魚仲買運搬業から始まり、1920年代に遠洋漁業を開始。1960年代には800席以上の漁船を保有するまでに成長した。しかし1970年代に『200海里規制』の動きが広まり日本の漁業は衰退。こうした時代変化の中、マルハ自身も多くの不採算グループ会社を抱えるなど厳しい経営状態が続いた。 この状況を打開したのが、旧・日本興業銀行の常務まで努めた五十嵐勇二社長だ。興銀の黄金時代から不良債権処理までを経験してきた五十嵐さんは、マルハの負の遺産の処理に奮闘。かつて200近くあった関連子会社を思い切って整理統合、10のユニットにまとめたり、2004年から持ち株会社制に移行してグループ経営を行うなど、抜本的な見直しを進めた。 マルハというと、いまだに漁業の会社というイメージが強いが、実は「水産商社」へと変貌している(最後のトローリー船2隻も2002年に別会社に渡してしまい、今はマルハ本社には漁船が一隻もない)。しかも、その買い付けネットワークは非常にグローバルだ。鮪は地中海やオーストラリアから、海老はアジア・アフリカ・中米からなど・・・。 五十嵐さんは「今、世界の魚の消費構造が変化してきている」という。国内では魚離れが叫ばれて久しいが、今、欧米では健康ブームもあってか魚の輸入が増えているとのこと。さらに、経済成長著しい中国でも魚の需要は拡大しており、魚の輸入量では、中国が日本を追い越しそうな勢いだ。こうした世界的な需要動向の変化を受けて、「マルハの水産商事事業も、従来の『外→内』から『外→外』へと変わっていくかもしれない」と五十嵐さんは語った。 マルハのもう1つの事業の柱が食品加工である。50年前から生産している魚肉ソーセージは年間3億本も出荷。新商品も毎年80種類ほど発表している。なかでも注目されているのが『骨まで食べられる魚』である。消費者へのアンケート調査で、「子供が魚を食べないのは骨があるから」「魚の調理は面倒だ」という声が多いことに着目。「それならば骨まで食べられるようにしよう」と3年がかりで開発した自信作である。価格は少し高めだが、調理が簡単で「思いのほかよく売れている」と言う。「子供・高齢者・病人・共働き夫婦をターゲットにして、いずれ200億円の市場規模にしたい」と五十嵐社長も大きな期待を寄せている。 さらにマルハでは食の安全にも取り組んでいる。商品に表示されている番号をマルハのホームページから入力すれば、使用されている原材料の詳細やアレルギー性の有無まで把握できるというサービスに着手。また、中国の契約野菜農場(30万坪)では、農薬の使用を最低限に抑えるために、広大な農場を全面、防虫ネットで覆うなど工夫を凝らしている。 『健康・本物・簡便・安心安全』を経営理念にもつマルハ。五十嵐さんは「これらの条件をすべて満たす、時代に合った商品を今後も作っていきたい」と抱負を述べた。 |