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地球バス紀行

毎週火曜22時オンエア

人間の鼓動に出会う旅、一篇の旅物語
旅の案内役は「バス」です。大陸を横断する長距離バスから都市部を毛細血管のほうに走り回る生活導線バス。早足の旅ではけっして見えて来ない車窓の風景が、乗り合わせた人との出会いが、いろいろな物語を紡ぎだしていきます。

2013年1月22日 O.A.

#92 ビリニュス発バルト三国北上

リトアニア・ラトビア・エストニア

地図

今回の舞台は、ヨーロッパの北、バルト海沿岸に並ぶ小さな国々リトアニア・ラトビア・エストニアが舞台。旧ソ連邦から独立して20年余、それぞれの時代を再び歩みだしている三国を、最南のリトアニアからバスで北へと縦断する旅です。

まずはリトアニアの首都ビリニュスから旅をはじめます。雨あがりの朝、バスの出発までのあいだ石畳の道を歩いてみました。「祈りの街」、と呼ばれるビリニュスでは、驚くほどたくさんの教会や聖堂に出くわします。道行く人々がさりげなく十字を切る姿に見とれていると、そこは教会ではなくて「夜明けの門」と呼ばれる旧市街の一角を守る門のよう。階上の小さな礼拝堂には“奇跡のマリア様”が祀られ、一心にロザリオをくくる人々の姿がありました。独立以前、信仰を禁じられた時代も、多くの人たちが祈りを捧げることはやめなかった…敬虔なビリニュス市民の姿にこの国の背負ってきた複雑な歴史がうかがえます。

さて、バルト海に面したエストニアの首都タリンまで、先はまだまだあります。お土産物屋さんで見かけた無数の十字架が立ち並ぶ丘、を目当てにさっそく北向きのバスに乗り込みます。目的地はシャウレイというラトビアの途中にある町。

車内で聞くところによれば、“十字架の丘”とは願いごとをするときにリトアニアの人々が十字架を立てにゆく場所だそう。1830年頃から立ち始め、宗教が禁止されたソ連時代、十字架が何度もブルドーザーでなぎ倒され焼き払われたときにも、絶えることなくすぐに十字架が立ってしまった―そんな歴史を持っているそうです。人々の祈りが立ち込めたかのような何十万本もの十字架による壮絶な眺めに、言葉を失うしかありませんでした。

翌朝、十字架の丘のある町シャウレイを出発しラトビアの首都リガ行きのバスに乗り込みます。言葉も歴史的背景も違う国ですが、検問もなく国境を越え数時間でリガの中央バスターミナルに到着。市内バスで旧市街に向いぶらぶら散策します。のどかなビリニュスに比べ、どこか“開放的な大都市”といった雰囲気のリガは、かつてハンザ同盟の中心地として栄えた貿易の要の街。「バルトのパリ」と呼ばれた街並みも近年復興され、パステル色の建物が立ち並んだ街は華やぎに満ちています。そんなリガの名所の一つは“中央市場”です。戦前飛行船チェッペリン号の格納庫だった建物が、巨大なリガ市民の台所となっているのです。そこで出会ったおいしい蜂蜜が、次なるバス旅の行き先を決めてくれました。売り子のおばさんの紹介で、養蜂家の方を訪ねることになったのです。翌日リガからバスで1時間半ほどのところにあるリガトネというのどかな村に向います。若い主人と美しい奥さんに案内されて、蜂蜜の作り方や広々した農場を見学、蜂蜜をたっぷり使ったおいしい夕食もごちそうになりました。

そしてその夜のうちに、夜行バスでエストニアの南の街パルヌに入ります。ついに最終地点のタリンまであと少し―。

パルヌの街では“ギルドの日”というお祭りの真っ最中。木工食器や鉄細工など職人さんたちのお店をひやかしていると、風景画家が作品を並べています。彼の絵に描かれた美しい満月の光景―それはキヒヌという島のものだというのですが…「とてもいい所だからぜひ訪ねてみてくれ」という画家の言葉に押されてつい寄り道をすることに。

港に向う途中のバスで、さっそくキヒヌのおばあちゃん達に出会いました。島まで同行させてもらい、キヒヌ名物の編み物を見せてもらったりと、短い滞在はおばあちゃん達のおかげで充実したものに。もちろん美しい月を拝むこともできました!

翌朝、バルトに浮かぶかわいい島を後にして再び陸路タリンを目指します。フィンランド湾に面したタリンの街は、まるで中世のような雰囲気。高台から見降ろすと、お伽話の町のようです。

バルト海に沿って三都市を走破したバス旅。かつての社会主義時代の面影を脱し、どの街もそれぞれの表情を持つ個性的な街でした。