#49 「貨幣改鋳」 2013年9月11日放送

#49 「新井白石VS荻原重秀」

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江戸の経済危機

今から遡ること360年前。江戸の世に大きな経済転換期が訪れた。時は元禄、幕府は大きな悩みを抱えていた。天下を取った家康が日本中の金を手中に収め、開いた江戸幕府。しかし、東照宮造営や大奥の維持などで家康の遺産を使い果たし、幕府の財政が悪化していく。さらに、大都市となった江戸中に流通する貨幣の量が、需要に追い付かず経済が停滞。デフレ危機にあった。その時に、江戸の経済を根本から変えてしまう天才役人が現れる。勘定奉行荻原重秀。幕府の信頼があれば、その幕府が発行する通貨は、瓦礫であっても保証されるはず。なんと重秀は、小判の金の含有量を減らし小判を再発行。発達する江戸の街への貨幣供給量を増やしたのだ。それまでの米中心だった世の中を、貨幣で商業を盛んにさせる世の中へと大転換を図った。それは、金本位の実物貨幣から幕府の権威による信用貨幣へと導く、現代につながる先駆の政策であった。重秀の前代未聞の経済改革は成功するかに見えた。しかし…天才勘定方役人の前に、稀代の儒学政治家であり、幕政改革の鬼と呼ばれた新井白石が立ちふさがる。家康以来、幕府体制の基礎を固めるのはあくまで米である。白石はこれまでの農本主義を貫き、秩序ある世界を守ることこそが幕府の役目だと訴えた。商業中心の世の中に変革すべきか、それとも幕府本来の姿に復興すべきか江戸経済の行方を巡り、天才経済役人と儒学者が火花を散らしあう。そして、この対立の結果がのちに思わぬ事態をもたす。それは…、西洋列強の国々から日本の金が狙われるという日本史上最大の危機。新井白石と荻原重秀の小判を巡る熱き戦い。それに迫れば、江戸幕府から現代へとつながる経済改革の軌跡が浮かび上がってくる。

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二人の誕生

東京・浅草橋。江戸時代、隅田川にほど近かいこの町でのちに熾烈なライバル対決を始める二人の男子が生まれた。明暦3年に生まれたのが新井与五郎。その翌年に生まれたのが荻原彦次郎。のちの新井白石と荻原重秀である。二人は、同じ時期、直線距離で1キロにも満たない、同じ町の中で育ったといわれる。しかし、その境遇には大きな差があった。新井白石の父は上総久留里藩の目付。明暦の大火の年に生まれた白石は気性が激しく、怒ると額に火の字の皺が寄ることから、「火の子」と呼ばれたという。また頭がよく、子どもの頃から一日4千字を書くことを日課とし学問を重ねた。だが、藩のお家騒動に巻き込まれ謹慎生活をさせられてしまう。その生活は延宝5年、久留里藩主が改易されるまで続く。自由の身になった時、すでに20歳。時代は、元禄の世となっていた。白石の聡明ぶりは人々の間に伝わり、時の大老・堀田正俊のもとに仕官が決まる。これで道が開けた。と思われた。しかし、白石の紆余曲折はまだ終わらなかった。一方、幕府勘定方の家に生まれた重秀は17歳で勘定方に召し抱えられ、早くも頭角を表していた。幕府が、年貢の徴収を徹底させるために行った延宝検地。太閤検地以来80年ぶりに実行された検地に重秀は携わった。見事な仕事ぶりで褒美を貰うなど活躍する。勘定所の若手として将来を有望視されることとなった。1680年。時は綱吉の治世。時代が代わっても重秀の出世は続く。綱吉は、農民の困窮は代官支配に原因があるとし、代官の不正な取立てを厳しくせよと命じた。その命を受けたのが、白石が仕官した大老・堀田正俊。代官摘発の任にあたったのが重秀だった。堀田のもとに学者として仕官していた白石と堀田に仕事を命じられる重秀。因縁の二人、人生二度目のニアミスである。いつしか白石の心の中に嫉妬が芽生えていたさらに、重秀は悪徳代官摘発で再び功を上げ、勘定奉行に次ぐ地位である勘定吟味役となる。そのとき、まだ30歳、異例の出世であった。一方、白石の身には再び試練が襲いかかっていた。なんと、頼みの綱の堀田が江戸城内で刺殺され、またもや浪人に逆戻りとなってしまったのだ。重秀への恨みや嫉妬に燃える白石。これまで学んできた儒学を極めようとし、学者として名高い木下順庵の門をたたく。これが、白石の人生を変える選択となるのであった。7年後、順庵の推薦により、儒官として再び仕官が叶ったのである。相手は甲府宰相・徳川綱豊。のちに6代将軍家宣になるとは、白石はこの時、夢にも思わなかった。いよいよ、白石と重秀の人生、3度目の接近の時を迎える。その邂逅はとてつもなく激しいものとなるのであった。

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江戸の困窮

綱吉は第5代将軍となった時、代官の摘発の他に、幕府の財政立て直しを勘定所に命じていた。その任も重秀にまかされた。関ヶ原の戦いで勝利し、天下を手中に収めた家康は、豊臣側の残した金を独占。江戸幕府を開府した。そして家康の死後残した遺産は三百万両とも言われている。しかし、その遺産を、2代将軍秀忠、3代将軍家光の時代に、日光東照宮造営や大奥の維持などにつぎ込みどんどんと目減りしていく。なかでも家康の代から作られてきた慶長小判はなんと金の含有量85%。そんな貨幣は世界中どこを探してもないものだった。家康は、経済の中心は年貢であり、米を代表とする農業が国を支える農本主義を理想としていた。しかし、江戸が大都市となると、人々が集まり、物も集まり、商業が盛んとなりはじめる。貨幣が流通する消費社会が幕を開けたのだ。その経済発展あわせ、必要な貨幣が次々と作られていく。綱吉の時代までに、発行された慶長大判小判はおよそ千四百七十二万枚。重さにすると200トンに達するという。しかし、思わぬことが起きていた。江戸は経済が膨らみ始め、小判の供給のバランスがとれなくなっていった。さらに貨幣を作るための、金を使い果たしていく。そうして幕府の財政は急激に傾いていたのである。流通する貨幣がなくなれば、大都市となった江戸の暮らしが麻痺をする。しかし、出す金はもうない。そして、いよいよ前代未聞の経済政策に取り掛かる。なんと、慶長小判を回収し、金の含有量を減らして、新たな小判を作ることを提案したのだ。家康以来の小判を変える。そのことは幕府に動揺を生んだ。しかし、重秀の意見に耳を傾けた人物がいた。綱吉の御側用人・柳沢吉保である。柳沢は重秀の意見を通し、開府以来、初めての貨幣改鋳を断行した。そうして生まれたのが、元禄小判である。元禄小判は金の含有率を57%とし、慶長小判より金を3割減らした。およそ2枚の慶長小判で3枚の元禄小判を作ったのである。またこの改鋳により幕府が得た収益は500万両以上を言われている。重秀の経済改革は、幕府財政の危機、通貨量の問題を供に解決させたのである。そして重秀はこの功績が認められ、勘定方のトップである勘定奉行へと昇進する。しかし、財政の難を逃れた綱吉の治世に影が差し始める。世継ぎのできなかった綱吉は、仏教に頼み、芝・増上寺、上野・寛永寺など寺院の改修や新築に放財。また、生類憐みの令を発布。さらに富士山噴火や元禄大地震と天災が重なり江戸に混乱がおこる富士山の噴火から2年後、綱吉が死ぬと、6代将軍に選ばれたのは徳川家宣。その人こそ、新井白石が儒官として仕える甲府宰相・徳川綱豊だった。

茂秀の改鋳

6代将軍になった家宣は幕府の重要な役職も一新。綱吉時代、力をふるった御側用人・柳沢吉保のかわりには甲府時代からの側近・間部詮房を登用した。しかし、間部はもともとは能役者の出。間部の代わりに諸政策を講じる役割として、新井白石を政治顧問の座につけた。しかし重秀は城内随一の財政通とされ、家宣の命で引き続き勘定奉行の役割を担うこととなった。国家を動かすという大きな場所でこれまで学んだ学問を生かす機会を得た白石は、水を得た魚のように大胆な政策を打ち出す。儒学者として、治世を神君家康の時代に戻すことが幕府と民の生活を守ることと考えていたのだ。白石は将軍と御側用人に頼られる立場となり、さまざまな意見を通した。その存在は次第に大きくなり、改革の鬼と呼ばれるほどとなった。そして、それらの改革の中白石が特にこだわったものが貨幣の再改鋳である。重秀の改鋳により、江戸の物価が上がり、困窮した武士や農民の間に幕府への不信感を高まっていた。そしてついに、荻原重秀との激突の時がやって来た。将軍を前にした、白石と重秀との話し合い。白石の問いかけに、重秀は幕府の財政が災害や浪費により、困窮していることを告げる。重秀は、政治顧問である白石の意見を聞き金の比率を高めた小判を改鋳せざるを得なかった。そして作られたのがこの宝永小判。しかし、重秀はすごい事に金の比率を戻したが、その分大きさを半分にすることによって、使用した金自体の量を変えなかった。しかし、この性急(せいきゅう)な改鋳により、さらなるインフレを招いてしまう。これに対し、白石は憤慨する。そして、水面下で打倒重秀の仕上げに掛かる。重秀が貨幣改鋳の作業の中で不正を行い利益を自分のものにしていると周りに告げ口し、果ては、地震や富士山の噴火も、改鋳を行わなかったら起きなかったと喚きたてた。白石は将軍家宣に、3度に渡る罷免要求を繰り返し、ついに重秀を勘定奉行の座から無理矢理引きずり下ろしたのだ。しかし白石は、なぜそこまで重秀を敵視したのだろうか?儒学者であるはずの白石は、重秀に対する時だけは額に火の字が浮かびあがる。火の子に戻ってしまったしか考えられない。勘定奉行を辞めさせられた重秀はその後、歴史から消える。罷免した翌年、病死とも自害ともいわれているが真相はわかっていない。

高橋英樹の軍配は…

荻原重秀という人、わたし実は今日初めて聞きました。重秀が38年間も官僚として幕府に務めていたのに、わたしはこの人をは知らなかった・・・ということにショックを受けてしまいました。そういう意味で、今日の判定は、わたくしの反省の意味も含めまして・・・荻原重秀!