毎週水曜 よる10時放送
日本の城。
堅牢にして優美なその姿は、今なお多くの人を魅了してやまない。関ヶ原の戦いから大坂城落城までの15年間。徳川幕府が支配体制を盤石にして行く中、全国に築城ブームが到来!!そして、そこには築城の名手と称えられた二人の武将がいた!
一人は、熊本城を築いた、加藤清正。幾重に重なる石垣は堅牢かつ難攻不落の名城である。特にその石垣は日本一美しいと言われる。一方、今治城を築いた藤堂高虎。今治城の天守はシンプルで美しい。実はこの今治城こそが、現代の我々が城と言えばこんな形と思い浮かべる近世の城のスタンダードとなり、全国に築城ブームを巻き起こしたのである。果たして、二人の築城術に秘められた、それぞれの人生とは!?築城の名手対決、加藤清正VS藤堂高虎に迫ります!!
城を決定付ける要素は三つ。そのひとつが石垣である。熊本城の石垣の特徴はなんと言ってもその反りにある。下部は緩やかな勾配から上部に上がるにつれ傾斜はきつくなる。その石垣は「武者返し」と称された。一方、藤堂高虎が築いた城で、最も有名な石垣が伊賀上野城の高石垣である。その高さは、水面からおよそ30m近くある。本来、地盤の弱い水堀からの立ち上げは至難の業。それを可能にし高石垣を築く技術で高虎の石垣は日本一の高さを誇った。
ふたつめは城の設計図となる縄張り。
清正の熊本城は何重にも折れ曲がった複雑な設計。これは篭城戦の際に抜群の効果を果たす。清正は朝鮮出兵の際に、食料もなく凍える寒さの中で篭城戦を経験。その教訓から、複雑な縄張りを敷き、城内に幾つもの井戸を掘った。一方の高虎は、ビジネスライク。シンプルな縄張りにすることで、守りのポイントを明確にし、城内の居住空間を確保する設計であった。清正の縄張りはあくまで戦いを想定し、高虎の縄張りは実務を想定している。
みっつめは城のシンボルとなる天守。
熊本城の天守は黒。今治城の天守は白。これは、当時の防火技術などの違いであり、柿渋や漆を塗ってできた黒壁と、石灰を焼く白土焼きを用いた白壁である。しかし、これは技術の進歩を表すだけではない。黒は豊臣の城であり、白は徳川の城であることを意味している。大阪城は当初、黒壁であったが、徳川の天下となり再建された際に白壁に塗りなおされた。天守はまさに天下の移り変わりを象徴しているのである。
城は単なる防衛施設ではない。そこには築いたものの人生をも表し、その情熱に秘められた美しさを表す芸術作品であるのだ。
実は、わたしは藤堂高虎派でございまして、今治城、伊賀上野城・・・伊賀上野では大手門を馬で走ったこともありますので、今回は藤堂高虎!・・・といいたいところなのですが、今日一日この熊本城を隅から隅まで拝見いたしましたが・・・凄い!これは男の美学!そして男の強さ、弱さ。城の持つ美しさと強さ、そういったものをすべて兼ね備えた名城です。ことに石垣の見事さ!これはちょっと感動しましたね。熊本城、何度でも来たいと思います。というわけで本日の勝者は・・・加藤清正!