毎週水曜 よる10時放送
絶対王政をもたらす天才が登場した時、日本は新たな時代を迎えた。織田信長が君臨した絢爛豪華な安土桃山時代。絶対王政は、その権力を誇示するために、巨大な城郭を生み、その大空間を埋める絵師を求めた。ここに天才に応える天才絵師が誕生した。京の都で将軍や公家の絵の注文を一手に引き受けてきた狩野家の御曹司にして狩野派一の天才絵師、狩野永徳。片や、北陸、能登半島の七尾で染め物屋として絵の修行に励む無名の長谷川等伯。2人の天才絵師が交わる時歴史に新たな色が塗りこめられる。果たしてどちらが天下一の絵師なのか?
幼いころから才能を認められていた永徳。13代将軍足利義輝は永徳の絵に惚れ込み京の都の華やぎをことごとく描き尽くす洛中洛外図を永徳に注文。永徳は5年の歳月をかけて完成させるが完成を待ち望んでいた義輝は、その絵を見ることなく松永久秀と三好の三人衆に攻められ、討ち死にしてしまったのである。永徳は、今や注文主のいなくなった屏風を床に寝かせ、細い筆を手にし、闘鶏の見物人に一人の少年を書き加えた。幼き頃の足利義輝である。それはまさに義輝が夢見た都の姿であった。そしてその絵は次の天下を狙う織田信長のもとへ渡った。この画をみた信長は永徳を気に入り安土城の障壁画を頼むこととなる。永徳は常に天下人と近い存在でいたのだ。一方、等伯は無名の仏画師として石川県七尾にいた。地元で染物屋をしながら絵を描いていた等伯に事件が起こる。ある日画材を仕入れるために上洛した際に、永徳の描いた「二十四孝図屏風」を見て人生が一変した。『このまま田舎絵師で終わりたくない』。無名の等伯は京へ上洛。等伯は染物屋で培った色彩センスを生かし、さらに画の世界で天下をとっていた狩野派に弟子入りすることで本領を発揮していく。そしてそれに目をつけたのは、狩野派の頂点に君臨していた狩野永徳だったのです。
絵の世界で天下をとっていた永徳でしたが、本能寺の変で織田信長が死ぬとともにその世界は崩れ始めます。まずその世界を崩したのは等伯の絵を気に入っていた利休でした。天正17年、利休が大徳寺に三門を寄進する際に内部の壁画を狩野派ではなく、無名の絵師等伯に描かせたのです。そして等伯が描いた大徳寺これにおもしろくないのが永徳でした。永徳は等伯に人を回すなと業者に圧力をかけていたのです。三門の仕事を徹底的に妨害し、長谷川派をつぶしにかかったのです。もはや狩野派との全面対決は避けられなかった。
等伯にとって、約束の期日に天井画描き上げることが 絵師として生き残る唯一の方法。 そして完成したのが天井にとぐろを巻いた龍を 深みのある鮮やかな極彩色で描いた最高傑作の天井画でした。その評判は朝廷にまで届き、等伯は上皇のために造営される仙洞御所の対の屋の 襖絵の注文を受けます。しかし永徳の政治工作によって等伯への発注は取り消され、改めて狩野派に依頼されたのです。しかし、永徳にも悲劇がふりかかります。雷に打たれた東福寺法堂を修復するため天井画を描いていた永徳は寝る間も惜しんで描き続けます。 仕上げの筆を入れたその時、永徳は過労の末に亡くなってしまうのです。
…白票投じたい!ホント白票を投じたいの!今回、「永徳VS等伯」のお話は、武術の世界で例えたら「吉岡一門VS宮本武蔵」の対決のような気がするんです。京都の名家の吉岡一門と一匹狼の宮本武蔵、この対決のように感じてしまうんですよ。となると宮本武蔵を演じたことのある自分としては、庶民派の…長谷川等伯!