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安政7(1860)年3月3日。江戸が大雪に見舞われたこの日、幕末の動乱の幕開けを告げる大事件が起こりました。桜田門外の変。この事件で暗殺されたのは、時の大老・井伊直弼。日本の「開国」を強引に推し進め、異を唱えるものは容赦なく消していった幕末最大の恐怖政治家と言われております。直弼を襲撃したのは、水戸浪士たち。そんな彼らの精神的支柱となった人物こそ井伊直弼の最大のライバル、水戸徳川家第9代藩主・徳川斉昭です。攘夷派の斉昭が、開国派の直弼とぶつかるのはまさに歴史の必然。「幕府の最高権力者」直弼と、「天下のご意見番」斉昭の戦いのライバル対決の行方とは!?
日本はアメリカと日米和親条約を締結し開国。幕府が長年貫いてきた鎖国は終わりを告げ新たな時代に突入しました。これがきっかけで井伊直弼と徳川斉昭の対立は激化します。今でいう防衛大臣に当たる海防参与に任命されていた斉昭は、攘夷論を強硬に主張し鎖国継続を訴えます。そこに待ったをかけたのが彦根藩主井伊直弼でした。ペリーの来航した浦賀周辺の沿岸警備にも当たりアメリカの脅威を肌で感じていた直弼は、開国以外に日本の生きる道はないと痛感していたのです。しかし斉昭は直弼を相手にもしませんでした。斉昭が直弼の意見を一蹴に伏した翌年、幕府は有力大名を再び江戸城に召集します。斉昭は前回同様、鎖国の継続と攘夷の断行を訴えましたがなんと他の大名たちは開国と訴え、結果は開国。実は直弼は、諸大名への説得工作を密かに行っていたのです。
病弱で跡継ぎのなかった13代将軍・家定の後継を巡り、意見が真っ向から対立します。斉昭が推すのはみずからの息子一橋慶喜。しかし、そこに再び直弼が立ちはだかる。直弼は、御三家のひとつ紀州藩の慶福(よしとみ)を推薦し二人は熾烈な主導権争いをはじめるのです。
安政7年3月3日。水戸浪士17名と薩摩藩士1名が直弼を襲撃。直弼は首を斬られ暗殺された。直弼襲撃犯の精神的支柱となったのは、斉昭の「尊皇攘夷」思想であったと言われていますが意外なことに、直弼暗殺の報に、斉昭は首謀者を捉え大罪に処すよう命じています。このことから、斉昭自身は暗殺計画を知らされていなかったと言われております。そして斉昭自身も事件から半年後急死し真相は闇の中に葬られてしまいます。
わたしが大河ドラマ「翔ぶがごとく」で演じさせていただいた島津斉彬の盟友たちは、松平春嶽とか阿部正弘、そして島津斉昭なんです。斉昭さんの先進的な考え方、斉彬さんともよく似ているところがあって、とても魅力を感じるんです。で、一方の井伊直弼さんという人は、安政の大獄を起こしたり、非常に悪役イメージで世間に伝えられていますけれど…、実はわたしは人生初の舞台を1968年に「花の生涯」で踏んでおりまして、しかもわたしの尊敬する尾上松緑の井伊直弼で。もう44年前の話なんですが、「雪が降っている…3月3日にこの大雪…」と言いながら鼓をたたくとポン!と割れるんですね、それでも出てゆくと、襲われる。その松録の姿を思い浮かべると…大変申し訳ないんですけれど、井伊直弼さん!これはもう忘れられない!