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今回のライバル対決はなんと100年の時を越えたライバル対決!大岡裁きで有名な大岡越前対、さくら吹雪で有名な遠山金四郎。ともに名奉行として名高い二人ですがなぜ庶民から人気を集めたのでしょうか。そこには二人の上司との関係に秘密がありました。100年越しの名奉行対決、果たしてどちらが庶民の心を掴み江戸を救ったヒーローなのか!!?
大岡越前といえば芝居や講談で伝わる大岡裁きが有名ですがこの「大岡裁き」はその殆どがなんと創作だったのです。大岡の活躍した時代はちょうど江戸幕府開幕100年頃でした。当時の江戸は明暦の大火による影響により幕府財政破綻危機に陥っていました。その再建のために将軍徳川吉宗が行ったのは享保の改革でした。吉宗は庶民が直接意見を投稿する「目安箱」の設置や、貧しい人々のための無料の病院「小石川ようじょうしょ養生所」の設立など民衆を喜ばせる優れた政策を次々に実行し江戸時代きっての名君として知られていますが、それを町奉行として支えたのが大岡だったのです。庶民のために行った数々の業績が、大岡裁きの逸話を生んだのでした。
桜吹雪の入れ墨で有名な遠山の金さんこと遠山金四郎ですが、実は桜吹雪の入れ墨も大岡動揺実は逸話でした。金四郎の活躍した時代は江戸幕府開幕200年頃でした。貨幣経済が発達した当時、町人が力を持つようになり物価の高騰が大きな問題になっていました。深刻な財政危機に直面した幕府は、物価の高騰を抑える為に厳しい倹約令を出しました。それがてんぽう天保のかいかく改革と呼ばれるみずのただくに水野忠邦の政策です。さらに水野は庶民の娯楽である歌舞伎小屋を廃止や人口の増えた江戸庶民を田舎に強制的に返す人返し令をだしていき庶民の生活を脅かしていきます。その時、まったをかけたのが遠山金四郎でした。金四郎は改革に激しく反対。切腹を覚悟で上司水野に意見したのです。その結果将軍いえよし家慶が、金四郎の意見に賛成。その後水野は罷免され幕府から去るのです。
将軍吉宗と二人三脚で享保の改革を成し遂げた大岡越前。老中水野の厳しい天保の改革に反抗し庶民の生活を守った遠山金四郎。はたしてどちらが庶民をまもった真の勝者なのでしょうか・・・。
庶民のために身を呈して反抗していった町奉行というのは江戸の歴史の中でもそうはいません。わたし自身も…遠山の金さん、5年間演じてましたから…やっぱり遠山の金さん!でも、いま演じるなら、大岡越前を演じてみたいですね。金さんの刺青、あれは3時間くらい描くのに時間がかかるんですよ。チャンバラの度に刺青描いて、お白州の度にまた描いて、毎度3時間。夏は汗かいちゃダメだし冬は片肌出して寒いし…。「遠山の金さん」を撮影していた当時、同じ撮影所の隣のスタジオで加藤剛さんが「大岡越前」を撮影していたんですよね。彼を見かける度に「いいなぁ、刺青しなくていいし脱がなくていいし、うらやましいなぁ」と思っていました。次、演じるなら越前さんやりたいですね。