#18   「戦国猛女対決」  2013年2月6日放送

#18 「北政所 VS 淀殿」

#18 「北政所 VS 淀殿」
#18 「北政所 VS 淀殿」

慶長20年、大坂城落城。豊臣家は滅亡した。悲願の跡取りが誕生後、死後の体制も磐石に固めていたはずの秀吉。それなのに豊臣家はなぜ滅びたのか。その影には二人の女の存在、そして、その確執があった。秀吉の正室でありながら世継ぎを生むことができなかった女。北政所。父と母をも殺した秀吉の側室となり、世継ぎを産むことで、実権を握ろうとした女。淀殿。この二人の確執が豊臣家を滅亡へと導いた・・・。今回は戦国時代をたくましく生き抜いた二人の女の戦いに迫ります!!

女の戦い、ここに生まれる!!

永禄4年。今回の主役の一人、北政所ことおねは織田信長の家臣だった秀吉に嫁いだ。天正13年。夫婦仲は良かった。ただ、二人は子宝に恵まれなかった。そこに、一人の側室が現れる。それが茶々、後の淀殿。信長の妹、お市の方の娘にして、秀吉のライバル柴田勝家を義父に持つ女。彼女が秀吉の子を産んだ事から豊臣家の滅亡へ至る女の戦いが始まったのです。

#18 「北政所 VS 淀殿」

たくましき女たちの壮絶な攻防戦!!

淀殿が生んだ、豊臣家待望の跡継ぎ鶴松。しかし、不幸な事に鶴松はわずか3歳で急逝してしまう。女の戦いは北政所優位に戻るかと思われた矢先、淀殿が二人目の子を出産します。それが秀頼でした。これで淀殿は豊臣家の実権を掴もうとしていた。しかし、慶長3年、秀吉が死去。ここから、女の戦いは豊臣家、いや戦国の日本中を巻き込む大決戦に発展してゆくのでした。

豊臣か、徳川か。天下を巻き込む女の戦い!!

秀吉の死後、豊臣家をどうするのか・・・。ここに北政所と淀殿の決定的な決裂がおきる。混乱する政局の中、豊臣と徳川、どちらにつくべきか多くの人物たちが北政所の元に相談にやってきます。ここで北政所は驚くべき指示を出す。「豊臣家のことを思えば、家康殿につくべし!」北政所を味方につけた東軍・徳川家康と淀殿と秀頼を守るために立ち上がった西軍・石田三成の戦いは全国の大名を巻き込む一大決戦となった。勝敗の行方は大名を多く味方につけた家康率いる東軍の圧勝。ここに、徳川の天下が確立され、15年の後、家康は大坂の陣において豊臣家を滅亡させた。夫と共に築き上げた豊臣家。その血筋を守ろうとして果たせなかった女、北政所。わが子の権力維持のため最後の最後まで戦った女、淀殿。戦国時代にピリオドを打った女の戦い。その両者の想いは豊臣家を守るという意味では同じものだったのかもしれない。

高橋英樹の軍配は…

淀殿は、彼女なりに必死に努力して戦国の世を生き抜いてきた女性。最後まで自分の意思を貫き通したという意味では、すごくすばらしい女性だと思うんですけど・・・、わたしすごく個人的なことなんですけれど、高台寺のご住職と友達でね、春の桜、秋の紅葉をよく見に行かせていただく関係でもありまして、今回は北政所!スミマセン!