#16 「末森城の戦い」 2013年1月23日放送

#16 「前田利家 VS 佐々成政」

#16 「前田利家 VS 佐々成政」
#16 「前田利家 VS 佐々成政」

一般的には殆ど無名。しかし、昔も今も歴史ファンたちの心を揺さぶる、“戦”があります。
「末森城の戦い」城を守ったのは、「槍の又左」の異名を持つ豪傑、前田利家。攻め込んだのは厳冬期の北アルプス登攀「さらさら越え」などの伝説を数多く持つ猛将、佐々成政。二人は同時期に生まれ、同じ主君に仕え、30年もの長きに渡って競い合う、宿命のライバルだったのです。しかしなぜ敵味方を別れ戦うことになったのでしょうか!?そして二人を待っている結末とは・・・戦国時代他に類をみないほど似た経歴を持つ利家と成政のライバル対決に迫ります。

ライバルは宿命付けられていた

二人を結びつけたのは、魔王・織田信長。群雄割拠の世に終止符を打つべく、尾張の小国からこつ然と現れた男。当時隣国から「うつけ者」と馬鹿にされていた織田信長。その「うつけ者」織田信長に出会ったのが当時「かぶき者」と呼ばれ喧嘩好きで顔に派手な化粧をしていた前田利家であった。「うつけ者」と「かぶき者」。よほどうまが合ったのか、信長はすぐに4歳年下の利家を気に入り、近くにおくようになります。そしてある時、信長と弟信行が家督を争った「稲生の戦い」で利家は奮迅し、敵の首を討ち取り信長から百貫文の加増と家臣を与えられました。そして、同じくこの「稲生の戦い」で敵将を討ちとる大手柄を立てた武将がいたのです。後に幾度も利家と戦うこととなる宿命のライバル、佐々成政。二人の出会いはここから始まったのです。

#16 「前田利家 VS 佐々成政」

二人のライバル関係の変化・・・

その信長に、二人は才能を見いだされた。桶狭間、本願寺、姉川、戦国史に燦然と輝く信長の覇道の陰には、常に二人が競い合う姿があった。二人同時に出世を繰り返し、戦国時代他に類をみないほど似た経歴を持つ利家と成政。しかし事件は起こります。本能寺変によって信長がこの世をさり、信長の家臣だった柴田勝家・豊臣秀吉が対立。利家と成政は、柴田勝家の与力だった事もあり、勝家につくがここでまさかの利家の裏切り。一体その理由とは・・・?織田家に忠誠を貫き通す成政と、天下とりをねらう秀吉についた利家。二人は命をかけて戦うライバルとなったのです。

決戦末森城の戦い

成政は、前田領である能登と加賀の国境に位置する重要拠点、末森城に攻め入ります。「末森城の戦い」の始まりです。この時、利家は30キロ離れた金沢城にいました。そして成政の奇襲作戦は成功しましたが、留めは翌日持ち越すことに・・・しかしこれが成政の甘さでした。ほとんど落城に近い末森城・そして圧倒的な兵の差があるにもかかわらず前田利家は救援に向かいました。このときの利家の行軍は、巧妙この上ないものだったと言われております。地の利を生かし、周辺領民から佐々軍の布陣状況を聞き出し、夜の闇に乗じて守りの薄い海沿いを進み、敵の裏に出る。そして、夜明けとともに、一気に奇襲をかけ成政は不意をつかれ敗北してしまうのです。その後、利家は家康に継ぐ所領を持つ大大名となり歴史のなかで輝き続け、成政は秀吉に報復したものの難癖をつけられ切腹。そして歴史の闇に葬り去られたのです。

高橋英樹の軍配は…

ライバルという関係で言うと、結局は「生き残る」というのが非常に大きなテーマになってくるのかなと思います。そういう意味では今回の対決・・・前田利家。でも、演じるなら断然!佐々成政です!もうこれは「男の意地」を貫くまっすぐな男!そしてロケはキツいけど、北アルプス越え!そういうのを含めてこの人物像というのは人間の心の中に、なにか別のものをもたらす人物なんじゃないかな。演じてみたいな!と思いますね。この一本気!通してみたいなと思いますね。たぶん僕は・・・似合うでしょう!