#14 「大坂の陣」 2013年1月9日放送

#14 「徳川家康 VS 真田幸村」

#14 「徳川家康 VS 真田幸村」
#14 「徳川家康 VS 真田幸村」

戦国時代に終止符を打ち、265年続く江戸幕府を開いた徳川家康。言わば戦国の覇者。 その家康を数度に渡って撃破した一族がいました。 それが、戦国最強の武将と名高い真田幸村をはじめとした、真田一族。 真田一族と家康の戦績はなんと真田の3勝1敗。 なんとたった一度しか家康は勝っていなかったのです。 歴史上、家康は戦国を制覇し勝利者のイメージがありますが戦国時代を紐解いたとき、本当の勝者がみえてくるのかもしれません。 今回は戦国の覇者徳川家康と戦国最強真田幸村のライバル対決を見てまいりましょう。

二人の意外な共通点

幾度も戦うこととなる二人には、意外な共通点がありました。 それは、二人とも元服前からの長い期間、他国の有力大名のもとで生活していたということ。 家康は、織田・今川のもとで 14年間。 幸村は、上杉・豊臣のもとで13年間。 お家のために人質として他国で過ごし、力ある大名のもと、戦国の世を生き抜く術を学んでいったのです。

#14 「徳川家康 VS 真田幸村」

決戦!関ケ原の戦い!!

1598年秀吉がこの世を去ると天下の野望を抱いた家康が動きだします。 三成側についた幸村は関ケ原の決戦当日、上田城にて徳川秀忠率いる3万8000人と真田軍わずか3000の戦いを迎えます。 どう考えても真田家には勝ち目がないこの戦…しかしここで真田マジックが火をふくのです。 敵を挑発し、敵をおびき寄せひきつけると一気に攻め込む。 そして堰き止めておいた神川の堰を切り、秀忠軍を押し流す。 真田家はわずか3000の兵力で勝利してしまったのです。 しかし、関ケ原の勝者は家康に軍配があがりました。 秀忠には勝ったものの敗軍の将となった幸村と真田には負けたものの関ケ原で勝利した家康。 いったい、どちらが本当の勝者なのでしょうか。

最後の戦い・・・大阪の陣

秀頼側についた幸村と徳川方の雌雄を決する合戦がはじまります。 家康の大軍を真田丸という砦で迎え撃つという作戦。敵を挑発し、誘い込む。 ここでも「真田戦法」が炸裂します。 これに恐れた家康は幸村に、調略をもちかけますが、幸村はこれを拒否。 幸村は金でも領土でもなく、家康を討ち取ることを選んだのです。最後の戦い。 幸村率いる真っ赤な一団は家康のいる本陣へ猛進。しかし、幸村の戦いもここまで。 この突破で深手を負った幸村は46歳でその生涯を終えることになります。

現代まで語られる二人

人質から人生が始まり、信長秀吉のもとで天下獲りの野望を胸に抱きながらも我慢し続けた家康は死後、南光坊天海らの手によって日光東照宮にて東照大権現として祀られ「神」となります。 その家康を最後まで震え上がらせた男、真田幸村は江戸時代、徳川の圧政に苦んでいた民衆の中で膨らみ明治に書かれた「立川文庫」の中で、真田十勇士を引き連れ、家康相手に戦う幸村の姿が描かれています。 幸村もまた「伝説」となり、人々の心の中に生き続けているのです。

高橋英樹の軍配は…

幸村が死んだあと、家康は幸村を討った侍に対して「お前が幸村を討つわけないだろう?」と、恩賞を家康が与えていないんですよね? そのくらい幸村という人物を、家康は恐れ尊敬していたんじゃないかと思うんです。 ひとりの小国の人間・幸村は、あれだけの大きな徳川軍勢に挑み続けた。その人間性に非常に魅力を感じます。なので今回は真田幸村! 演じるなら・・・家康は演じたことがありますし、実は幸村の父の真田昌幸も演じています。 なので幸村は、ちょっと演じてみたいですね。赤備え、似合うでしょ?