#12 「大奥バトル」 2012年12月19日放送

#12 「篤姫 VS 和宮」

#12 「篤姫 VS 和宮」
#12 「篤姫 VS 和宮」

今回のライバルは、徳川の幕をひいた2人の女。天璋院篤姫と静寛院和宮。二人の物語は、天皇家の娘、和宮親子内親王が徳川家に嫁いできたところから始まります。それを迎え入れたのは当時大奥を仕切っていた天璋院篤姫。二人の関係は嫁と姑のような関係。生まれも育ちも異なる二人は慣習の違いから激しく対立していきます。しかし江戸は未曾有の事態に見舞われていきます。江戸城に最大の危機が訪れたとき、二人がとった行動とは?江戸幕府最後の女の戦い篤姫と和宮のライバル対決を見てまいりましょう。

男の社会が生んだ女の戦い

当時、江戸城の外では安政の大獄の嵐が吹き荒れていました。尊王攘夷を叫ぶ一橋派に対し、大老井伊直弼による冷酷無残な弾圧は、朝廷と幕府とのあいだに埋めようのない深い溝をつくりました。そのために井伊が考えたのが皇女降嫁だったのです。幕府は家茂の正室に皇女・和宮を指名します。和宮は第14代将軍徳川家茂と同い年。しかし和宮は将軍家への嫁入りを拒否。しかし幕府は結婚を条件に朝廷と尊王攘夷を確約したため、和宮はいやいや縁談を承諾します。縁組みにあたり、和宮から条件が出されました。それが、「御所風儀」。御所風儀とは服装や髪型など公私にわたるすべてに武家風の大奥のやり方には一切従わないというもの。さらに、天璋院篤姫や家茂の母は大奥に住まわせず、一切対面しないという条件でした。その条件を伝え聞いたのは第13代将軍徳川家定に輿入れし、当時大奥を取り締まっていた天璋院篤姫。「将軍家に輿入れするからには武家風儀にしたがってもらわなければならない」。嫁対姑、御所風対武家風、大奥を舞台に火花散る女の戦いが始まります。

#12 「篤姫 VS 和宮」

勃発!!武家風儀の篤姫対御所風儀の和宮!!

和宮が江戸城へ入城した際、天璋院篤姫に進物を渡した。その進物の包み紙にはなんと「天璋院へ」と書かれており、嫁でありながら姑に対して書きすてはないと大奥女中を憤慨させた。和宮は大奥に入って愕然とする。なんと御所風儀の約束が反故にされていたのです。大奥では、御所風儀を守るというようなことはいっさい聞いていないと言い、篤姫武家の風儀を通そうとします。そしていよいよ運命の初対面の際、姑にあたる天璋院篤姫は上座につき、茵(しとね)の上に座っていたのに対して、和宮の席はその左脇の下座に設けられ、茵も用意されていなかった。和宮は屈辱を感じ自室に戻って声をしのんで泣いたという。篤姫と和宮の対立は、大奥女中を巻き込み激しく対立していくのです。

江戸城に危機が訪れたとき、二人が取った行動とは

討幕軍による江戸城総攻撃が決定され江戸は未曾有の事態に見舞われます。そのとき、篤姫と和宮は確執を捨て、命をかけて江戸城を守ることに行動を起こします。朝廷や薩摩に懇願し江戸城無血開城へ導いていくのです。 篤姫が和宮に残した言葉があります「女は婚家が終の栖処」二人は徳川の女として生き抜いたのかもしれません。

高橋英樹の軍配は…

やはり僕は、大河ドラマ「篤姫」(2008年)で島津斉彬を演じて、1年かけて篤姫を「嫁に出して」いますからね。 「飛ぶが如く」(1990年)では島津久光も演じていますし、薩摩藩にとっては僕は父親のような存在なんです(笑)。 なので行く末を見守ってきた「篤姫」で。 でも結婚するなら・・・ほわーっとした印象の和宮さんでしょうか?篤姫は怖そうです。絶対尻に敷かれます!