毎週水曜 よる10時放送
天下分け目の合戦、関ケ原の戦いで勝利し平定の世を築いた徳川家。しかし、戦いはまだ終わってはいなかった! 新たな戦いの舞台となったのは江戸城にある「大奥」。男子禁制の「大奥」はまさに女性たちの館・・・しかしその華やかな世界の裏で、実は熾烈なバトルが繰り広げられていたのです。今回の主役はその大奥を作ったといわれている二人の女性。二代将軍秀忠の正室「お江」と、三大将軍家光の乳母「春日局」。お世継ぎ問題勃発から始まった二人の戦い。いつの時代も女は怖い!?大奥誕生に隠された真実と二人が戦ったその真相に迫ります!!
お江は、浅井長政と織田信長の妹であるお市の娘でした。しかし時は戦乱。父長政が死ぬと、お江は有力大名の元を点々とします。流浪の生活の中で、お江が最も影響を受けたと言われているのが、伯父である織田信長でした。その信長は明智光秀の謀反によって、本能寺で死亡します。そして、その本能寺で信長暗殺の実行犯として動いたのが、春日局の父、斎藤利三だったのです。斉藤利三は本能寺の変に加担したため秀吉によって処刑されます。春日局が4歳の時でした。幼くして父を失った春日局もまた、戦国時代末期の荒波の中を生きていく事を余儀なくされます。
慶長9年、お江と春日局は、三代将軍家光の“母”“乳母”として出会います。
過去に因縁を持つ二人はお互いをどのように見ていたのでしょうか?
乳母として嫡男竹千代(家光)を懸命に育て始めた春日局。しかし一年後その状況に変化が起き始めます。お江が竹千代の弟国松(忠長)を出産したのです。竹千代は病弱で小柄、一方国松は聡明で誰からも好かれる子供。戦国の世を渡り歩いてきたお江は、世継ぎには病弱な兄竹千代よりも活発な弟国松のほうがふさわしいと、将軍秀忠や家臣団にけしかけます。竹千代を将軍にしたい春日局と国松を将軍にしたいお江。“将軍継承問題”を巡る二人の女性の戦いはこうして始まりました。一体、女同士の戦いとはどのようなものだったのか? 意外な形で結末をむかえる事となる女の戦いの真相にせまります。
お江と春日局のバトルが影響したのか、なんと家光は女性に興味無し!男色に走ってしまったのです。世継ぎの心配をしたお江は、公家の娘鷹司孝子を正室に手配しますが、家光はまったく相手にしませんでした。一方春日局は、自ら町に出向き女性を探し出しては次々と側室へと送り出していきました。徳川政権を盤石にするために必要な、お世継ぎを作るため、お江と春日局は再び、対決する事になります。そして、この戦いの末に作られたのが、男子禁制の女の園“大奥”だったのです。
もとは一介の乳母だった春日局はなぜここまで巨大な権力を手にすることが出来たのでしょうか。この謎を解く鍵は一冊の本の中にありました。江戸時代後期に書かれたと言われている『松のさかへ』。この本の中には、“家光の母はお江ではなく春日局”と書かれているのです。この“家光の母は春日局”説は、古くから多くの人々によって噂されてきました。なぜ、このような噂が飛び交うようになったのでしょうか? そしてこの“不穏な噂”の真相とは?
高野山・奥の院には戦国武将や大名、公家など日本史を飾るさまざまな人物のお墓がたくさんあるのですが、その中でもひときわ大きいのが、お江の墓なんです。
どの墓よりも大きい。それを見たときに、ああこの人はどれだけ慕われていたのだろうかと、お江という人物のすごさ、それがお墓の大きさに現れているんだと思ったんです。 ですので今回の勝者は、お江!
初めての女同士の対決!!
お江という人物の第一印象は、「積極的に活動する、強い女性」
春日局という人物の第一印象は、「厳格で、どちらかというと悪役の女性」というものでした。しかし、印象が収録で全く変わりました!
生まれながらのライバルという宿命に加え、お互いの母性の強さ、そして時代の変革期というタイミングが重なって、このようなドラマティックな対決が実現したのですね。
私も強い女性になりたいと感じる対決でした。