毎週水曜 よる10時放送
一対一の真剣勝負・・・といったとき、真っ先に浮かぶのがこの戦いではないでしょうか?今からちょうど400年前の1612年4月13日。二刀流を生み出し60数度の決闘をして一度も負けたことがない剣豪宮本武蔵。相対するは秘剣ツバメ返しの遣い手巌流佐々木小次郎。そう、天下一の剣豪の座をかけた戦い、かの有名な「巌流島の決闘」です。武蔵の一撃が小次郎の頭蓋骨を砕き死に至らしめる・・・と誰もが信じてきたこの決闘の結末。しかし、真実の巌流島ではまったく違った結末を迎えていたのです!!
今回は宮本武蔵VS佐々木小次郎。仕組まれた「巌流島の決闘」の真実に迫ります!!
そもそも、これまでの巌流島の決闘のイメージは吉川英治の小説からきています。そして、その小説の原資料となったのが「ニ天記」です。しかし、この資料は武蔵が亡くなってから100年以上も後に書かれたものなのです。つまり、決闘はおろか武蔵と小次郎の人物像すらよくわかってはいないのです。しかし、そんななか、「巌流島の決闘」の真実に迫る新たな資料が見つかったのです!!
その資料の名は「沼田家記」。巌流島の決闘を許可した細川家の家老沼田の業績を記したものです。そこにはこう書かれています。「武蔵は島に弟子を連れて行き、武蔵の弟子たちが小次郎を撲殺した」。まさに驚愕の記述!!ここから新たな巌流島の決闘の姿が浮かび上がります!!
天下一の剣豪をかけた戦いと思われてきたこの決闘。実は、武蔵が小次郎に替わり小倉藩の武芸指南役に就こうとした武蔵の就職活動だった。そのため、武蔵は弟子たちとともに小次郎をよってたかって撲殺した。
当時、小倉藩は御家争いをしていた。その中で力を持つ佐々木一族が邪魔となり、最初から小次郎を巌流島で亡き者にすることを計画。そこで、武蔵との決闘を利用したという・・・。
小次郎撲殺の犯人は武蔵の弟子でなく、小倉藩の家臣だった。
様々な説が飛び交いますが、それを裏付ける確実な証拠はどれもありません。実は吉川栄治が「宮本武蔵」を書くきっかけは、当時、「武蔵は本当は弱かった?」との議論が沸いた際、反論としてその強さを、魅力を描いたことでした。果たして、真の勝者はどちらでしょうか?
これは究極の選択です!宮本武蔵は、自分で何度も演じているし惚れた人物だし、演じていて楽しかった。逆に一度も演じていない佐々木小次郎は、謎が多すぎる人物像が魅力的。武蔵は最終的に仕官を求めていたけど、小次郎は剣の道を極めようと生きて、最後に挫折してゆく。その生きざまに魅かれます。なので今回は、佐々木小次郎!
僕の年齢的には難しいけれど、次の機会があればぜひ小次郎を演じてみたい。なんと言っても武蔵は演じていてしんどかった!ぼろぼろになりましたから。ツバメ返し、一度やってみたい!!
2回目の収録ということでしたが、まだまだ緊張してしまいました!
そして二人のライバル対決は、ハラハラドキドキの展開!
後半には衝撃の展開となりましたが、新しい武蔵像、小次郎像が見えてきて
女性の私もとても興味深い内容でした。