毎週水曜 よる10時放送
「関が原の戦い」や「長篠の合戦」「壇ノ浦の戦い」など日本の歴史を変えた戦いのなかで有名なのが川中島の合戦です。この戦いは“甲斐の虎”こと武田信玄と“越後の龍”こと上杉謙信が5度に渡り繰り広げた「地方大名の領地争い」でもあります。なかでも「第4次川中島の合戦」は、武田軍の「キツツキ戦法」、上杉軍の「車(くるま)懸(がか)りの陣」と両軍の知恵比べに始まり、クライマックスは信玄と謙信の一騎打ちが行われました。壮絶なこの戦いの模様は現代にまで語り継がれています。ところが、近年この定説を覆す新たな説が発表されたのです。語り継がれるライバル対決は空想のものだったのか?そしてなぜ450年もの長きにわたり日本最高のライバル対決と言われてきたのか?信玄、謙信のライバル関係、そして戦いの真の姿が明らかになります!!
信玄は最強騎馬軍団を擁し領地を拡大させる現実的なタイプであるのに対し、謙信は戦いの神「毘沙門天」の生まれ変わりと信じ正義を重んじる理想主義者。このように対比されることが多い2人ですが、知られざる共通点がありました。それは、幼いころの境遇。16歳で初陣を果たすも父から認められず、寂しい思いを経験してきた信玄。かたや謙信は幼くして仏門に入れられ母の愛を受けず、孤独な修行に励み、悲しみを乗り越えてきました。信玄、謙信、お互い親の「愛」の欠如がライバル関係を生み出したのです。
近年、川中島の合戦で描かれる名勝負は不可能だったという説が発表されました。謙信の妻女山(さいじょさん)布陣から始まる合戦ですが、そもそも上杉軍が妻女山に布陣することすら不可能だったのではないかといいます。となれば、妻女山に布陣した上杉軍の背後を突く武田軍の「キツツキ戦法」も存在しなかったことになる・・・。さらに信玄、謙信の一騎打ちも行われなかったといいます。川中島の合戦は一体どんな戦いだったのか?戦いの真相に迫ります。
川中島の合戦後、三方ヶ原の戦いにおいて武田軍に完敗した徳川家康は信玄の軍法に感心を持ち、継承することにつとめます。江戸時代、武田家の軍学者小幡景憲は「甲陽軍鑑」を編纂し、徳川家に取り入れられます。これにより、信玄の川中島での活躍は広まり語り継がれていきます。ところが、近年発見された「紀州本 川中島合戦図屏風絵」は上杉謙信の活躍を中心に描かれていたのです。なぜ、この絵が描かれたのか?浮かび上がる謎の人物。そこには江戸幕府2代将軍徳川秀忠とその弟である頼宣の家督争いが関係していたのです!信玄と謙信のライバル関係は、合戦後60年以上経ったあとでも影響を与えたのです。
信玄は、我々後世に伝え残る資料や言い伝えなどの情報量・知識が多い分、身近に感じられますね。
それに比べて謙信のほうは、資料的なものや言い伝えが信玄ほど多くなくて、あまり細かく人物像が入ってこないかな。
人物的に謙信のようにはなかなか成れないと感じる分、人物像がよくわかる信玄の方に人間味を感じます。
よって今回の勝者は、武田信玄!
でも演じるなら、一度「上杉謙信」を演じてみたいですね。「武田信玄」は何度も演じているので。
どちらかというと歴史には疎い私、アシスタントをするにあたって正直不安な面もありましたが…初回を終えてみて、とっても楽しかったです!!
今まで知っていた歴史は、真実のある一面を切り取ったものでしかなく、さまざまな文献や見地から「ライバル対決」を見直すことによって、一つの出来事にこんなにもドラマが隠されているんだなぁということを知ることができました!
高橋さんが歴史に残るライバル対決を見届ける、そのお手伝いができればと思います!