#94 2016年3月25日(金)放送 戦国キリシタン 細川ガラシャ

細川ガラシャ

今回の列伝は細川ガラシャ。父明智光秀が起こした本能寺の変により、「謀反の娘」の宿命を背負い、救いを求めてキリスト教に入信、そして関ヶ原の戦い前に人質の道を選ばず自害する。彼女の波乱の人生は本当に悲劇だったのか!?戦国一の美貌を誇ったガラシャの、戦国乱世に翻弄された人生に迫る!

ゲスト

ゲスト 漫画家
里中満智子

慶長5年、天下分け目の関ヶ原の戦い。徳川家康率いる東軍が勝利したが、その勝利の陰に、細川ガラシャという一人の女性の存在があった。明智光秀の三女として生まれ、東軍の有力大名・細川忠興に嫁ぎ、キリシタン迫害の機運の中、キリスト教に入信、そして最期は敵方石田三成の人質となることを拒み自害を遂げた。戦国の波に翻弄されたその壮絶な人生に迫る!

一の鍵 「本能寺の変」

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細川ガラシャは本名・明智玉、明智光秀の三女として永禄6年に越前の国で誕生。幼い頃から教養が高く、美しく聡明な女性として名高かった。玉が16歳になると、細川忠興と結婚。細川家と明智家は共に織田信長家臣だが、織田家に仕える前からの昵懇(じっこん)の仲。玉はより両家を緊密に結びつける役割を担った。しかしその2年後、天正10年に玉の父・光秀が本能寺の変を起こす。しかも、親戚関係を結んだはずの細川家は光秀の援軍要請を拒否。この状況に愕然とする間もなく、夫・忠興は謀反人の娘である妻・玉を丹後半島の味土野に送ることを言い渡す。玉は、侍女と家臣のわずか2人を伴い、一人僻地に幽閉される。さらに時を置かず、父・光秀が秀吉に討たれ、明智一族も皆自害に追いやられたという凶報が届く。玉はこの時20歳、一人生き長らえる運命となった。

二の鍵 「キリシタン」

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天正12年、玉22歳の時、2年に渡る幽閉が突然解かれる。解いたのは父・光秀を討った羽柴秀吉。天下統一に王手をかけていた秀吉は、玉たち大名夫人を大坂城の傍に屋敷を構えて住まわせた。玉は幽閉を解かれると大坂へ移り住むが、秀吉から謁見の命が下ろうとも、謀反人の娘という負い目を感じ世間との交わりを断つことを心に誓った玉は頑なに断る。夫・忠興は、秀吉が玉に言い寄るのではないかと、猜疑心に駆られ、玉に警戒を促す歌を送り、ついには屋敷で玉を監禁状態にしてしまう。謀反人の娘という汚名と夫とのゆがんだ結婚生活に閉塞感を抱いていた玉は、ある救いを手にする。それが当時急速に拡大していたキリスト教だった。「神の下では皆平等」という教義に感銘を受け、夫が九州出兵で留守の間を見計らい隠れて教会へ向かう。その教えを聞いた玉は入信することを決意。ところがキリスト教の拡大を恐れた秀吉が、宣教師を追放する「バテレン追放令」を発布する。外出が許されない自分に変わり、侍女らを改宗させ、その侍女を介し、屋敷で秘密裏に洗礼を受けた。洗礼名は「神の恩恵」という意味で「ガラシャ」と名付けられた。

三の鍵 「自死」

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慶長5年、2年前に天下人秀吉が逝去し、徳川家康と石田三成の勢力争いが激化する。夫・忠興は真っ先に家康に与し、6月には三成側の上杉討伐に出陣すべくガラシャの住む大坂を後にする。三成は忠興をはじめとする、家康側につき東北へ向かった武将の寝返りを目論み、彼らの不在を見計らって人質政策に討って出る。投降する者、大坂を逃げる者など妻らが必死の抵抗を見せる中、ガラシャにも7月16日、三成から召喚命令が来る。しかし頑として大坂城へ行かないという。家臣が細川家の居城に逃がしたいと懇願してもガラシャの堅い覚悟を崩すことはできなかった。翌17日、ついに三成側が挙兵するとガラシャは侍女らを逃がし、家臣に長刀で胸を突かせた。ガラシャ38歳、没。
その死は東軍に「打倒三成」のうねりを生みだし、2カ月後の関ヶ原の戦いの勝利に大きく影響したという。

六平の傑作

ガラシャといえば…美貌で薄幸の女性という
イメージしかなかったけど、
こんなに気骨ある人物とは思いもよらなかった。
鎧はきていないけど、心は「女武士」。
男社会に一矢を報いた颯爽たる最期だったと思います。