第一部 夜9:00〜9:54
第二部 夜10:00〜10:54
今回の列伝は、天下分け目の関ヶ原の戦いスペシャル。1600年9月15日。武将たちは何を思い、どのように動いたのか!?第一部は関ヶ原の戦い前夜まで。秀吉の死後、天下取りに向け、着々と布石を打ち始めた最大実力者・家康。会津攻めを大義名分に、諸大名6万の軍勢を集めることに成功。東軍結成をする。一方、家康の横暴を許せない光成は、毛利輝元を味方につけ、反家康のグループの結成に注力。この二つの軸に、全国の武将たちが終結した!
第2部は決戦当日、うごめく野望の中、武将たちはどう動いたのか。渦を巻く謀略、裏切りが続出した背景には、武将たちの苦悩があった。そして勝利の立役者は誰だったのか!?武将たちの物語に迫ります。
今回の列伝は、関ヶ原の戦いスペシャル。関ヶ原の戦いは、今から415年前の1600年(慶長5年)9月15日、東軍・徳川家康と西軍・石田三成が大激突。15万もの将兵が集まり、命を賭けて戦った天下分け目の一大決戦だ。そこには、家康、三成だけでなく、参加した武将たち一人一人の思惑とドラマがあった。番組では、家康・三成だけではなく、西軍総大将となった毛利輝元、豊臣恩顧でありながら東軍についた福島正則、勝敗を決める裏切りを決断した小早川秀秋、最後に家康を恐れさせた島津義弘の生き様に迫る。
1600年(慶長5年)9月15日、午前8時、中山道、伊勢街道、北国街道が交わる交通の要衝地に集まった東軍7万と西軍8万がとうとう戦いの火ぶたを切った。あくまで短期決戦を狙う家康、長期戦に持ち込みたい三成。しかし両者の予想は、武将たちが抱く思惑によって悉く裏切られる。宇喜多秀家、島左近の奮闘により西軍優勢の状況が続くと、松尾山から見ていた小早川秀秋は決断を先送り。焦った家康は本体3万とともに前線へ。これを好機とみた三成は狼煙をあげるも、毛利諸将が動かない。最新研究によれば、西軍総大将にも関わらず戦場に来なかった毛利輝元の意外な思惑があったとされる。しかし、正午、家康による問鉄砲が撃たれると小早川秀秋は寝返りを決断。大谷吉継の奮闘むなしく西軍は一挙に総崩れとなる。だが、合戦最後、島津義弘が家康を恐怖させる行動に出る。
わずか半日で終わり、徳川260年を決める最大の戦い。果たして関ヶ原の戦いの最大の功労者は誰だったのか?浮かび上がる謎、これまでにない新説とともに2時間にわたって迫っていく。
関ヶ原の戦いというと、とかく、家康、三成に注目が行くけど、
今回、様々な武将たちの思いを知って、すごく興味深かった。
集まった15万の兵の、1人1人に、「天下分け目」に
参加した迷いや悩み野望など、「物語」があった。
それを思うと、今回取り上げた以外の、一人一人の武将の思いにも、
さらに深く触れてみたいと思いました。