今回の列伝は、江戸の探検家・間宮林蔵。幕命を受けて、蝦夷地を調査することになった林蔵がみたものは、ロシアの脅威・・。時代は江戸後期、ロシアが日本に迫っていた。さらなる幕命は、蝦夷の先にある樺太探検。そこは世界地図の空白地帯。
極北に向かった林蔵は、ついに樺太が島であることを確認。大陸との海峡はのちに間宮海峡と名付けられた。それは世界が驚いた大発見だった。
今回は、江戸時代・北方探検を行なった間宮林蔵。未開の地・樺太を探検し間宮海峡を発見。さらに世界で初めて詳細な樺太の地図を作成した。しかし、それを成し遂げるまでは苦難の連続だった。ロシア帝国の攻撃や凶暴な異民族の襲撃。凍傷となり死をも覚悟。そして林蔵は間宮海峡を越えアジア大陸の大探検へ。そこで見たものとは・・・!?不屈の探検家、間宮林蔵の波乱の人生に迫る。
ところが・・・蝦夷地に来てから7年。測量で訪れた択捉島で突如ロシア帝国の軍艦から大砲で攻撃を受ける。それは開国をしない幕府に対する報復だった。圧倒的な火力に為す術なく逃げる日本人たち。林蔵も択捉島の測量を断念して帰国。異国の脅威を身を持って体験したのだった。
樺太の測量を終えた後も林蔵は江戸に戻らず、樺太北部の村にいた。もう一つの目的、ロシアの国境を探るためである。そんなある日、村長が清国へ貢ぎ物を上納するため、大陸へと渡ることを知った。林蔵は同行を願い入れ、村人たちと共に中国大陸へ渡る。間宮海峡を7日間かけて渡った後、船を担いで山を越える。そして再び船に乗ってアムール川を遡ること約100キロ、ようやく目的地であるデレンに到着した。そこで清国の役人から、ロシア帝国の力が及んでいないことを聞き出す。
樺太再探検から一年半。林蔵は樺太が島であることを確認し、ロシア帝国の勢力も見極めること。自分の目的を見事に成し遂げたのだった。
世界にその名を知られた間宮。
その偉業の根幹には恐るべき「コミュニケーション力」があった!
異人種や民族と、渡り合い、語り合えるなんて、すごいと思います。
ただの冒険、探険ではなく、その陰にはすぐれた人間力があったのだと、
感服しました。