#52 2015年5月15日(金)放送 フジヤマのトビウオ 古橋廣之進

古橋廣之進

およそ70年前の終戦直後、打ちひしがれていた日本人の復興のシンボルとなった男がいた。33回世界記録を更新した伝説のスイマー、古橋廣之進である。敗戦国としての壁を乗り越え次々と世界記録を打ち立てる古橋は、日本のみならず世界から称賛され、「フジヤマのトビウオ」という異名を得た。今回はその栄光に至るまでの波乱に満ちた人生に迫る!

ゲスト

ゲスト スポーツライター
玉木正之
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豆魚雷と呼ばれた少年時代

古橋廣之進は昭和3年に現在の静岡県浜松市に生まれる。古橋家にとって初めての男子だったこともあり、父親の宇八はかつての自分の夢を息子に託す。それが力士だった。日々相撲の特訓を重ね食事も人一倍とった結果、巨体と腕力を手にし、小学校ではガキ大将として君臨した。わんぱくばかりする廣之進に先生も両親も手を焼いたが、彼を変えたのは浜名湖にオープンしたプールだった。小学校4年の時、プール開きに父と出向いた廣之進はそこで青年らが泳ぐ姿に感銘を受けたのである。自分の道は水泳選手だと心に誓った廣之進は我流で猛特訓し、小学校6年でなんと日本学童新記録を2つも樹立するまでになる。地元では「豆魚雷」として一躍有名人となった。 昭和16年、中学に入ると日本一の水泳選手を目指し水泳部に入る。しかし入学の年の12月、日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争に突入する。戦局が悪化するに伴い運動部は廃部になり、やがて廣之進は勤労動員として兵器工場で旋盤を回し高射砲の弾丸を削る日々を送るようになる。泳ぐことさえ許されない廣之進に更なる悲劇が襲う。それは中学3年になった昭和18年、工場での作業中誤って旋盤の歯車に指を巻き込み、左手中指を切断。水をかく大切な手にハンディキャップを負ってしまった廣之進は絶望の淵に立たされたのだった。

ハンディキャップを乗り越え世界新記録を樹立

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昭和20年、古橋は水泳選手の夢を諦め日本大学予科に進学。しかしその年の8月、日本は連合軍に全面降伏し終戦を迎える。その混乱の中授業は行われず、浜松に一時帰宅することになった。しかし帰郷すると町は焼け野原となり、家で迎え入れた両親は憔悴しきっていた。その惨状を目の当たりにした古橋は、学校を辞めて両親を支えるために働こうと考えた。しかしその半年後、肺炎を患い45歳の若さで母が死去。その時ある遺言を残していた。それが「水泳頑張って」。古橋は母の想いを胸に、もう一度水泳の夢を追うことを決意し、日本大学水泳部で猛練習を続ける。それは深夜から明け方までひたすら泳ぎ続け、1日2~3万メートル泳ぐという驚異的なものだった。こうして古橋は昭和21年7月、8月、9月と大会を連覇するまでになっていた。

日本の表彰台を独占し続ける古橋が次に目指したのは世界一。そこで心に誓ったのは「ハンディキャップの克服」だった。左の中指がないために推進力が減ってしまう自らの泳ぎを分析し、右腕を思いきり振り回し“水のかき”に専念できるよう、息継ぎを右から左に変えたのである。この努力は実を結び、遂に昭和22年の日本選手権400m自由形で、当時の世界記録を上回る記録を叩き出したのである!ところが…古橋には非情な現実が待っていた。当時日本は敗戦国だったため国際水泳連盟から除名されており、記録はすべて参考記録にしかならなかったのである。さらに昭和23年に開催を控えた戦後初のロンドンオリンピックにも戦争責任を問われ日本の参加は拒否されたのである。古橋はその後も泳ぐ度に世界記録を打ち立てたが、それはすべて幻でしかなかった。

敗戦国日本の復興のシンボルとなったアメリカ遠征

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昭和24年6月に朗報が舞い込む。なんと国際水泳連盟に日本も復帰が叶ったのだ。初の海外遠征も同年8月にロサンゼルスに行くことが決まり、古橋はようやく世界と勝負する土俵に立ったのである。国民の期待も高まる中、古橋ら6人の選手が海を渡った。 ところが、待っていたのは凄まじい差別。「ジャップ」と言われ、「日本のプールは短く、時計も遅いから、世界記録が出せる」とまでの嘲りを受けた。まだ国交回復よりも3年前に敵国アメリカと闘う古橋らは、敗戦国という壁を肌で感じていたのである。そして迎えた全米水上選手権。古橋はなんと1500、400、800、リレーと出場した全ての種目で世界新記録を樹立する快挙!アメリカは彼を「フジヤマのトビウオ」と称賛し、本国日本では、号外やラジオで報道され涙を流す者が続出した。その後も生涯で33回の世界記録を打ち立てた古橋廣之進は、敗戦後占領されて苦難の道を歩んできた日本人にとって戦後復興の第一歩となったのだった。

六平のひとり言

戦後日本の応援団長のような存在になったと思う。
みんなが希望をなくしていた時、
彼がともした灯は本当に大きなものだったに違いない。