今回の列伝は渋沢栄一。日本に銀行と株式会社をもたらし、設立した会社は500以上。現在にいたる基幹産業のほとんどにかかわった、日本資本主義の父。しかし、農家の長男として生まれ、代官の悪政に憤り、尊王攘夷、倒幕に目覚め、御三卿一橋家に仕え、何と幕臣へと流転の前半生。大蔵省から在野に下り、民間活力を推進し、日本の近代化を作り上げた。その波乱に満ちた人生に迫る!
今回の列伝は、日本資本主義の父・実業家の渋沢栄一。1873年、渋沢は日本初の銀行・第一国立銀行の設立に関わる。それは、日本の近代経済の転換となる出来事だった。その後、渋沢は銀行と株式会社という資本主義の要となるシステムの普及に努め、関わった会社の数はなんと500社以上にのぼる。明治という新たな社会で“民力”をどう育むか、激動の時代を生き抜いた渋沢の波乱の人生に迫る。
渋沢栄一は1840年、埼玉県深谷市血洗島で農家の長男として生まれる。藍の葉の買い付けと加工で年一万両を売り上げる裕福な農家で育ち、幼い頃からは、父から漢籍の手ほどきを受けていた。教育のかいあり、わずか13歳で商才を発揮していたが、16歳の時、人生を変える出来事が起きる。地方の代官に呼び出され、父の代理で出頭していた渋沢は代官から御用金に督促を受ける。払うべき必要のない金、その理由を代官に聞くと、説明を受けるどころか徹底的に叱責を受ける。この一件に怒りを覚えた渋沢は、幕府の政治の腐敗をただそうと、尊王攘夷の志士に身を投じることになる。