#41 2015年2月13日(金)放送 日本史を変えた「本能寺の変」 明智光秀

明智光秀

今回の列伝は明智光秀。日本の歴史を大きく揺るがした「本能寺の変」。なぜ、光秀は主君信長を討ったのか!?もし、信長が生きていたら、どんな日本になっていったのか…。3日天下で終わった光秀が描いた野望とは…。
本能寺の変までの波乱の生涯に迫る!

ゲスト

ゲスト 小説家
伊東 潤
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「敵は本能寺にあり」
今回の列伝は、日本史上最大のミステリー「本能寺の変」を起こした男、明智光秀。天下統一に向け突き進む織田信長に反旗を翻し、一夜にして日本の歴史を塗り替えた謎の武将である。信長を裏切った「反逆者」か、それとも歴史を変えた「英雄」か?明智光秀、その謎に包まれた素顔に迫る!

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運命の出会い

光秀が生まれた明智家は、美濃の斎藤道三に仕える一族だったが、道三とその子・義龍の骨肉の争いに巻き込まれ、明智家は離散。光秀も禅寺を渡り歩く、極貧の放浪生活を余儀なくされた。しかし、諸国を周遊している間に身に着けた数々の知識と人脈を武器に、光秀は、室町幕府の次期将軍候補・足利義昭に仕官することとなる。「義昭を将軍とし、足利幕府を建て直すことができれば、散り散りとなった明智家を再興できるかもしれない・・・」光秀は、そう思った。
しかしこの頃の室町幕府は、もはや風前の灯。弱体化した室町幕府を建て直すためには、有力武将の後ろ盾が必要不可欠だった。ちょうどそのとき光秀が目を付けたのが、破竹の勢いで勢力を拡大していた「戦国の風雲児」織田信長だった。足利将軍家の権威を利用して京へと上洛したい信長と、衰えた幕府を建て直したい義昭・・・その二人のパイプ役を、光秀が務めることとなったのだ。

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出世

1568年、織田信長に警護されて上洛を果たした足利義昭は、ついに室町幕府15代将軍に就任。尾張の若き武将、織田信長の名声も天下に轟くこととなった。二人の橋渡し役を務めた光秀の手腕を評価した信長は、光秀を義昭のもとから引き抜き、織田家臣団の“中途採用組”として迎え入れたのだ。
荒くれ者たちが肩を並べる織田家臣団の中で、教養豊かで貴族とも親交がある知性派の光秀は、まさに異色の存在であった。天下統一を目論む信長は、京の事情に精通する光秀を利用して、当時の日本の中枢であった近畿地方の支配しようとしたのだ。
織田家で何の後ろ盾ももたない光秀にとって、家臣団内での出世競争は熾烈なものだった。成果を挙げなければ、いつ首を切られてもおかしくない。敬虔な仏教徒であったにも関わらず、比叡山の焼き討ちを命じられ、かつての主君の髑髏を盃に、酒を飲むことを強要されたこともあった。しかし、光秀は信長のその“踏絵”とも言える試練を次々とクリアし、わずか3年で家臣団最初の城持ち武将となったのだ。

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怪物

1573年、信長が足利幕府を滅亡させたこの年、光秀は信長の更なる野望に戦慄する。なんと信長が、時の正親町天皇に譲位を迫り、元号の変更を突きつけたのだ。時の政権であった足利幕府も、信長によって滅ぼされ、比叡山や本願寺などの宗教勢力も次々と叩き潰された。信長が、今度はその矛先を朝廷に向けようとしている・・・。天皇の権威を否定することは、これまでの日本の歴史・国体を否定することになる。目の前に立ちふさがる全てのものを破壊し、全世界の王たらんとする信長の果てしなき野望。しかし、果たしてこの破壊の先に、新しい秩序は待っているのだろうか?激しい出世競争を勝ち抜いた光秀だったが、気が付けば、自分が何を追い求めていたのかも分からなくなっていた。そして、信長が創る新しい世界を待ち続けるには、自分はもう年を取りすぎていた。

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運命の日

1582年、日本史を変える運命の年。徳川家康の接待中であった光秀に、信長からの突然の命が下る。中国の毛利攻めをしている秀吉の応援に行けというのだ。光秀にとってその命は、格下の秀吉の配下になることを意味していた。光秀の心の中で、何かが音を立てて崩れた。
「魔が差した」と言うべきか、それとも信長の暴走を止めようとする「確固たる使命」を持っていたのか・・・。
6月2日、未明。毛利征伐へと向かうはずだった明智の軍勢が、突如、旋回。信長が眠る京都・本能寺に火矢が放たれた。騒ぎに目覚めた信長の目に映ったのは、暗闇にはためく明智の桔梗紋。全てを悟った信長は、「是非に及ばす・・・」そう一言つぶやいて、燃え盛る炎の中へと消えていった。

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日本史を変えた男

日本史上最大の革命児、信長の死により、その後の日本の歴史は一変する。それはまさに、戦国の世の「終わりの始まり」だった。劇的な謀反により、天下をとった光秀は多くの謎を残したままこの世を去り、豊臣秀吉、徳川家康の天下統一によって、動乱の時代は幕を閉じた。
光秀の真意は、今となっては誰も分からない。ただ確かなのは、あの夜、たった一人の男の決断が、この国の未来を大きく変えたということだ。

六平のひとり言

いわゆる「智将」として描かれることが多いけど、実は、
武勇にもすぐれ、有職故実にも通じた、すごく洗練された人だった。
実は、信長が一番頼りにしていたのは、柴田勝家でも秀吉でもなく、光秀だったのだと思う。
主君を殺した「負」のイメージがあるけれど、日本の長い歴史の中で見れば、
「本能寺の変」がまさに大きなターニングポイント。
それを成し遂げたと考えれば、光秀がやったことは歴史の「負」ではなく、
確実に歴史を進めた偉業だったと思う。