今回の列伝は、室町時代の禅僧・一休宗純。とんちで有名な一休さん。しかし、その生涯は反骨の破戒僧であった。天皇のご落胤という出自。肉を食し、女を抱き、酒を飲む…。人心をとらえた風変わりな説法。そして、荒廃した京の町を建て直すために残したものとは…。伝説の僧侶一休の波乱人生に迫る。
今回の列伝は、一休宗純。とんち坊主の一休さんとして多くの人々に知られているが、その真の姿は仏教の戒律をことごとく破る「破戒僧」だった。肉を食べ、酒を飲み、女を抱く、掟破りの数々。しかし、それは一休が辿りついた悟りの境地の体現であった。一休が人々に伝えようとした教えとは何なのか。風狂の破戒僧、一休宗純の人生に迫ります。
南北朝時代が終わりを告げた後の1394年、一休は北朝最後の天皇 後小松天皇の子でありながら、嵯峨野の民家で生まれたと伝えられている。母は藤原氏の血筋で、南朝の出身であったため、一休を身籠った事で皇位継承を巡る争いが勃発。謀略の末に宮廷を追われたのであった。母は5歳の一休を臨済宗の寺、安国寺に入れ出家させた。
そして一休の「禅の道」への修行が始まった。修行に励む日々。しかし、やがて一休は禅宗のあり方に疑問をもつようになる。この当時、室町幕府は鎌倉時代から続く五山制度に基づき禅宗の代表格である臨済宗の寺を管理し、手厚く保護していた。そのため、禅宗の僧侶は俗世の権力と結びつき、賄賂によって地位や名誉までも手に入れる程に堕落していた。禅僧の堕落ぶりを見た一休は、この先に真の悟りがあるのか疑問に感じるようになる。15歳の若き一休は迷いの中にいた。
謙翁の死の翌年、一休は新たな師、華叟宗曇と出会う。華叟もまた、形を追わぬ人であった。俗化した都の宗教界に背を向け、滋賀県大津に庵を開いていた。華叟の元での生活も極貧の毎日であった。一休は托鉢の他にも、町娘が使う小物作りなど内職をして華叟の暮らしを支えた。そんな中、26歳の5月、一休に運命の瞬間が訪れる。真夜中、琵琶湖の岸辺で座禅を組んでいた一休。辺り一面、真っ暗闇であった。ふと、一羽のカラスがカアと鳴いた。その瞬間、一休は悟りの境地に達する。「見ようとするから見えないのだ。何も見えなくてもカラスはいる。仏の姿もしかり。仏は、自分自身の心の中にいる!」己の中にある仏の心のままに生きよう。それが一休がたどり着いた悟りの境地であった。
1422年、臨済宗の禅寺、大徳寺の塔頭で高僧の33回忌法要が行われた。きらびやかな正装で集まった僧侶たちに混じってボロ布のごとき、質素な黒の袈裟に身を包んだ一休。周囲は皆、眉をひそめた。しかし、一休は「見た目など関係無い。ありのままの姿で良いはずだ。」それは一休から高僧たちへの挑戦状だった。
奇抜な僧として、庶民の人気を得て行く一休。34歳の時、庵を出て、近畿一円をひたすら説法をして回った。その暮らしぶりは、禅僧にあるまじきものとして人々を驚かせる。坊主なのに頭は剃らず、何と肉を食べていた。その上、酒も女も大好きだった。ありのままに生きるという一休の悟りの境地を表した生き方であった。そんな一休はやがて、戒律破りの「破戒僧」と呼ばれるようになる。
1467年、応仁の乱により京都の町では放火が多発し、寺の多くが焼かれた。都はまさに、生き地獄の様相を呈していた。1474年、80歳となった一休に天皇から大徳寺の住職になるようにと勅命が下る。大徳寺も「応仁の乱」によって焼失し、再建しなければならない状態だった。荒廃した人心を立て直すためには大徳寺の再建が必要であった。しかし、一休は悩む。大徳寺の住職になるということは権力と距離を置き、形にとらわれないという自分の信条に反するものであった。悩みに悩んだ一休だが、ついに大徳寺の再建を引き受ける。
再建のための寄進を求めて、一休は京の都や堺へと出掛けた。すると一休和尚に頼まれてはと、武士や商人達はもとより、庶民までが大徳寺再建のための寄進をしてくれたのである。皆、乱世の中、仏の心を求めていたのであった。一休は気付いた。「形があろうとなかろうと、仏を求める人々の心に寄り添うことこそ大切なのだ」と。そして1479年6月、大徳寺の仏殿が完成する。しかし、その境内には一休の姿はなかった。一休は寺には住まず、都のはずれにある小さな庵から大徳寺に通っていたという。再建の2年後、87歳で一休はこの世を去った。
一休寺境内にある一休の墓の入口には、天皇家の生まれであることを示す菊の紋が刻まれている。高貴な生まれでありながら、一休は最後まで人々と交わり過ごした。あるがままに生きたその姿は、今も多くの人々の心に残っている。
とんち小坊主の一休さんが、
実は、こんなアウトローだったとは!?驚きでした。
でも、寺にこもるのではなく、最後まで庶民の中を歩き、
生きたその姿はやっぱり、みんなの「一休さん」だったんだね。
あの斜に構えた肖像画、かなり個性的で忘れられないなぁ。