今回の列伝は大衆ジャーナリズムの元祖「黒岩涙香」。明治の新聞黎明期に涙香が創刊した「萬朝報」は時の政治家、財界人などの”下半身スキャンダル”を徹底的に扱い、部数を拡大する。さらに、『あゝ無情』など翻訳小説を連載し、大衆に新聞を普及させた。権力と闘い続けた波乱の人生に迫る。
今回の列伝は大衆ジャーナリズムの祖、黒岩涙香。明治時代、ある新聞が一世を風靡した。その名は萬朝報。現在ではほとんど知られていないこの新聞は当時、大手新聞社を抑えて東京一の売り上げを誇っていた。この萬朝報を創刊した人物こそ黒岩涙香であった。涙香は大衆の立場から、権力者たちの不正を痛烈に批判。政治家たちの愛人スキャンダルを紙面で取り上げ、震え上がらせた。そんな涙香がもう一つ、紙面で力を注いだのが、涙香自身が翻訳した小説「あヽ無情」の連載であった。そこに込められた涙香の大衆への思いとは・・・。
1862年、黒岩涙香は土佐の国に生まれる。涙香が生まれた黒岩家の先祖黒岩越前は戦国期、土佐に長宗我部元親に攻め入られ、落城した主君とともに自害する。その屈辱感が生み出した黒岩家の家訓ともいえる「仇三倍」という言葉が伝わっている。自分が頭を一つ打たれたならば、三つ打ち返さねばならぬという教えである。幼き頃から仇三倍の教えを叩き込まれた涙香には、先祖黒岩越前から受け継ぐ反骨の熱い血が流れていた。