#23 2014年9月19日(金)放送 夭折の女流作家 樋口一葉

樋口一葉

今回の列伝は夭折の天才作家「樋口一葉」。24歳という短い生涯のなか、「たけくらべ」「にごりえ」といった文学史上に残る傑作を生みだした一葉。その生涯は極貧にあえぎ、作家としての実働はわずか14か月。どれも女性の悲恋を描いた。その波乱の生涯に迫る。

ゲスト

ゲスト 作家
中沢けい
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(写真提供:伊東市立木下杢太郎記念館)

勉強したい

東京・千代田区内幸町。役所で働く人々のための長屋の一つに、明治5年、樋口なつ(後の一葉)は生まれた。一葉の兄弟は、兄2人と姉、妹の5人。父・則義は、農民ながら、努力の末に武士の身分を勝ち取り、その後下級役人となっていた。勉強好きで、書物を片っ端から読んだ一葉は、父にとって自慢の娘だった。小学校に通い始めると、高等科第4級を首席で卒業。“もっと上の学校に進んで勉強したい・・・”だかその思いは、母の猛反対で打ち砕かれる。泣く泣く進学を諦めた一葉。この時11歳だった。

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(写真提供:山梨県立文学館)上段中央が一葉

萩の舎

14歳となった一葉に、ある転機が訪れる。勉強好きな娘を哀れに思った父・則義の計らいで、和歌や書を教える「萩(はぎ)の舎(や)」という塾に通えるようになったのだ。主宰は、歌人として名を馳せていた、中島歌子。生徒たちは華族の令嬢や高級官僚の娘など、上流階級の子女ばかり。そこに一葉は、家事手伝いもする内弟子として入門を許される。

「人々はみな紋付きを着ていらっしゃる中に、私一人が異様ななりで出る事は、情けなく悲しいことだ・・・」(一葉日記より)

みじめな気持ちを振り払うように、一葉は手伝いの合間、必死に和歌に打ち込む。

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萩の舎にきて半年後のこと。小さな事件が起きる。この日は、新年の発会。決められたテーマで歌を詠み、得点を競う歌会が開かれた。それぞれ自分の名前を伏せて歌を詠み、中島歌子が優秀作を決める。優勝候補は、元老院議員の娘で、「姫様」と呼ばれていた田辺龍(たつ)子。やがて歌子が、第一位とした歌を詠んだ。

「打ちなびく やなぎを見ればのどかなる
 おぼろ月夜も風は有りけり」

それは、一葉が詠んだ歌だった。予想もしなかった結果に、塾生たちの羨望の目が一葉に集まった。歌の道へ進もうと希望を抱いた矢先、一葉に思わぬ不幸が襲った。兄・泉(せん)太郎と、一葉の支えであった父・則義がこの世を去ってしまったのだ。一葉は、樋口家の相続人となり、一家を扶養しなければならなくなる。その上、父が大きな借金を遺していたことを知るのだ。歌や勉強どころではなくなった。一葉17歳。果てしない貧乏暮らしの日々が始まる。

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初恋

貧乏暮らしを強いられていた一葉は、もっと金を稼ぐ方法があることを知る。萩の舎の先輩、田辺龍子が小説を書き、一葉の稼ぎのおよそ3カ月分もの原稿料を得たという。明治24年4月。小説で収入を得ようと考えた一葉は、教えを請うため一人の作家の門を叩く。半井(なからい)桃(とう)水(すい)。大衆向けの新聞小説で人気を得ていた小説家だった。一葉より一回り年上の31歳。一葉は一目惚れをしてしまう。初めて抱いた恋心。その日以来、好きな人から学べる嬉しさに胸をときめかせ、桃水の元へと通うのだった。苦しい暮らしの中で、一葉にとって桃水と過ごす時間だけが、心熱く、甘美なもの。思いは次第に募っていった。

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そして10ヶ月後、生涯忘れ得ぬ日がやってくる。明治25年2月4日、雪の降る寒い日のこと。昼頃、桃水の家についた一葉。桃水はなかなか玄関先に姿を見せず、寒気の中、待ち続けた。2時間後。昼寝から起きた桃水は、一葉の来訪にようやく気付き、慌てて座敷に招き入れる。そして、寒い中待たせた詫びにと、自らお汁粉を作って、振る舞ってくれた。心遣いに胸が熱くなる。会話もはずみ、気がつけば日は落ち、夕方になっていた。その時突然、桃水が言った。
「今夜は泊まっていきなさい」
高鳴る鼓動。戸惑い。そして、思わずこう答える・・・。
「それは出来ません」

帰り道、桃水に求められた喜びと、断ってしまった後悔の気持ちが、繰り返し押し寄せていた。一葉は、恋に胸をときめかせ、その夢はとめどなく膨らんでいった。そんなある日・・・。一葉は、恩師・中島歌子から思わぬ忠告を受ける。桃水と一葉が、すでに男女の関係になっている、という噂が広まっているというのだ。当時、結婚を前提としない男女交際は、認められない風潮にあった。一葉は戸主として、その噂に耐えることが出来なかった。そして、あの“雪の日”から4ヶ月後の6月22日。一葉は桃水の家に出向き、絶交を告げた。一葉20歳。初めての恋は、始まらずして終わった・・・。

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(資料所蔵:台東区立一葉記念館)

塵の中

一葉20歳の秋。一家の暮らしは、困窮を極めていた。そんな時、手を差し伸べてくれたのが、萩の舎の先輩、田辺龍子だった。日本最初の商業文芸雑誌、『都の花』との縁を取り持ち、一葉の小説が掲載されることになったのだ。この時の原稿料で、およそ二ヶ月分の大金を得た。その後、出版社から依頼が舞い込み始める。作家としての将来を夢見て取り組む一葉。しかし、次第にその筆は重くなっていく。求められたのは、大衆受けする絵空事の娯楽小説ばかりだった。

「私が筆を執るのは真実の心からである。(中略)一度読んだら屑籠に投げ捨てられるようなものがどうして書けるだろう。(中略)人の真心に訴え、人の真心を書き写したい・・・。」(一葉日記より)

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自分が目指す小説世界と求められる仕事の間で悩んだ一葉は、半年後、ついに一行も書けなくなってしまう。

とうとう一家は、最も家賃の安い一角、台東区竜泉寺町に転居。ここで雑貨や駄菓子を売る店を開く。当時この近くには吉原遊郭があった。店にやってくる少女たちは、借金のカタに売られた子たち。やがて遊女となり、春をひさぐ宿命を背負っていた。一葉はその暮らしの中で、人の心にある美しさを知ることとなる。

一葉「天地間のものはすべて平等であり公平であって・・・(中略)それなのに人間世界ではつまらない階級などを作り出して、貴いとか賤しいとか言っている。娼婦にも誠はあるのです。」(一葉日記より)

社会の底辺にあっても懸命に生きる人々の姿こそ、自分が書くべき“人の真心”であると気付いたのだ。

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たけくらべ

ようやく自分が書くべきものを見つけた一葉。ある日、思ってもみないチャンスが舞い込んだ。月刊文芸雑誌『文学界』。新進気鋭の作家たちが創刊し、作品を発表。愛や自由を高らかに歌い上げ、大衆小説とは一線を画していた。その『文学界』の編集者、星野天知が一葉の才能に目をつけ、執筆を依頼してきたのだ。“大衆なんて気にするな。自由に書けば良い。”そんな言葉に励まされた一葉の脳裡に、一葉の中に小説のアイデアが次々と浮かんできた。そしてここから、文学史上“奇跡の14か月”と呼ばれる日々が始まる。“人間の真の心を描きたい・・・”一葉は、凄まじい勢いで執筆を始めた。

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明治28年、「文学界」に一篇の小説が発表される。それは、近代文学に、新しい風を巻き起すものだった。「たけくらべ」。遊女となる定めを背負った少女と、ある少年の物語。主人公は、14歳の少女、美(み)登(ど)利(り)。まもなく借金のかたに、遊郭に身を売られる運命だった。そんな美登利の心に芽生えた、ほのかな恋心。相手は、1歳年上の信如(しんにょ)。寺の息子で、将来は仏門に入ることが決まっていた。2人は互いの気持ちを感じながらも、恥ずかしさで、思うように本心を告げる事が出来なかった。雨の日、美登利の家の前で、信如の下駄の鼻緒が切れる。気付いた美登利は、格子の間から友禅の切れ端を投げ入れるが、信如は受け取らず、去って行くのだった。やがて美登利が、遊女として踏み出した日、一輪の水仙の造花が、家に投げ入れられていた。その日はちょうど、信如が吉原を離れ、仏教学校に入学する日だった。

「たけくらべ」の発表後、文壇の巨匠森鴎外は「此人にまことの詩人といふ称をおくることを惜しまざるなり」と大絶賛。「たけくらべ」は、まさに日本近代文学の新しい扉を開いた傑作だった。そして歴史上、紫式部以来の天才女流小説家が誕生した瞬間でもあった。

六平のひとり言

「たけくらべ」は演劇でも繰り返し演じられる名作だけど、
樋口一葉が、死ぬ前のわずか1年ちょっとの間で生まれた作品と一つとは知らなかった。
超貧乏。そして、実らなかった恋。
せつない人生だけど、一葉はそれらを全て小説に昇華させて
大きな星が落ちるように消えていったんだな。