今回の列伝は夭折の天才作家「樋口一葉」。24歳という短い生涯のなか、「たけくらべ」「にごりえ」といった文学史上に残る傑作を生みだした一葉。その生涯は極貧にあえぎ、作家としての実働はわずか14か月。どれも女性の悲恋を描いた。その波乱の生涯に迫る。
東京・千代田区内幸町。役所で働く人々のための長屋の一つに、明治5年、樋口なつ(後の一葉)は生まれた。一葉の兄弟は、兄2人と姉、妹の5人。父・則義は、農民ながら、努力の末に武士の身分を勝ち取り、その後下級役人となっていた。勉強好きで、書物を片っ端から読んだ一葉は、父にとって自慢の娘だった。小学校に通い始めると、高等科第4級を首席で卒業。“もっと上の学校に進んで勉強したい・・・”だかその思いは、母の猛反対で打ち砕かれる。泣く泣く進学を諦めた一葉。この時11歳だった。
14歳となった一葉に、ある転機が訪れる。勉強好きな娘を哀れに思った父・則義の計らいで、和歌や書を教える「萩(はぎ)の舎(や)」という塾に通えるようになったのだ。主宰は、歌人として名を馳せていた、中島歌子。生徒たちは華族の令嬢や高級官僚の娘など、上流階級の子女ばかり。そこに一葉は、家事手伝いもする内弟子として入門を許される。
「人々はみな紋付きを着ていらっしゃる中に、私一人が異様ななりで出る事は、情けなく悲しいことだ・・・」(一葉日記より)
萩の舎にきて半年後のこと。小さな事件が起きる。この日は、新年の発会。決められたテーマで歌を詠み、得点を競う歌会が開かれた。それぞれ自分の名前を伏せて歌を詠み、中島歌子が優秀作を決める。優勝候補は、元老院議員の娘で、「姫様」と呼ばれていた田辺龍(たつ)子。やがて歌子が、第一位とした歌を詠んだ。
「打ちなびく やなぎを見ればのどかなる
おぼろ月夜も風は有りけり」
貧乏暮らしを強いられていた一葉は、もっと金を稼ぐ方法があることを知る。萩の舎の先輩、田辺龍子が小説を書き、一葉の稼ぎのおよそ3カ月分もの原稿料を得たという。明治24年4月。小説で収入を得ようと考えた一葉は、教えを請うため一人の作家の門を叩く。半井(なからい)桃(とう)水(すい)。大衆向けの新聞小説で人気を得ていた小説家だった。一葉より一回り年上の31歳。一葉は一目惚れをしてしまう。初めて抱いた恋心。その日以来、好きな人から学べる嬉しさに胸をときめかせ、桃水の元へと通うのだった。苦しい暮らしの中で、一葉にとって桃水と過ごす時間だけが、心熱く、甘美なもの。思いは次第に募っていった。
そして10ヶ月後、生涯忘れ得ぬ日がやってくる。明治25年2月4日、雪の降る寒い日のこと。昼頃、桃水の家についた一葉。桃水はなかなか玄関先に姿を見せず、寒気の中、待ち続けた。2時間後。昼寝から起きた桃水は、一葉の来訪にようやく気付き、慌てて座敷に招き入れる。そして、寒い中待たせた詫びにと、自らお汁粉を作って、振る舞ってくれた。心遣いに胸が熱くなる。会話もはずみ、気がつけば日は落ち、夕方になっていた。その時突然、桃水が言った。
「今夜は泊まっていきなさい」
高鳴る鼓動。戸惑い。そして、思わずこう答える・・・。
「それは出来ません」
帰り道、桃水に求められた喜びと、断ってしまった後悔の気持ちが、繰り返し押し寄せていた。一葉は、恋に胸をときめかせ、その夢はとめどなく膨らんでいった。そんなある日・・・。一葉は、恩師・中島歌子から思わぬ忠告を受ける。桃水と一葉が、すでに男女の関係になっている、という噂が広まっているというのだ。当時、結婚を前提としない男女交際は、認められない風潮にあった。一葉は戸主として、その噂に耐えることが出来なかった。そして、あの“雪の日”から4ヶ月後の6月22日。一葉は桃水の家に出向き、絶交を告げた。一葉20歳。初めての恋は、始まらずして終わった・・・。
一葉20歳の秋。一家の暮らしは、困窮を極めていた。そんな時、手を差し伸べてくれたのが、萩の舎の先輩、田辺龍子だった。日本最初の商業文芸雑誌、『都の花』との縁を取り持ち、一葉の小説が掲載されることになったのだ。この時の原稿料で、およそ二ヶ月分の大金を得た。その後、出版社から依頼が舞い込み始める。作家としての将来を夢見て取り組む一葉。しかし、次第にその筆は重くなっていく。求められたのは、大衆受けする絵空事の娯楽小説ばかりだった。
自分が目指す小説世界と求められる仕事の間で悩んだ一葉は、半年後、ついに一行も書けなくなってしまう。
とうとう一家は、最も家賃の安い一角、台東区竜泉寺町に転居。ここで雑貨や駄菓子を売る店を開く。当時この近くには吉原遊郭があった。店にやってくる少女たちは、借金のカタに売られた子たち。やがて遊女となり、春をひさぐ宿命を背負っていた。一葉はその暮らしの中で、人の心にある美しさを知ることとなる。
社会の底辺にあっても懸命に生きる人々の姿こそ、自分が書くべき“人の真心”であると気付いたのだ。
「たけくらべ」の発表後、文壇の巨匠森鴎外は「此人にまことの詩人といふ称をおくることを惜しまざるなり」と大絶賛。「たけくらべ」は、まさに日本近代文学の新しい扉を開いた傑作だった。そして歴史上、紫式部以来の天才女流小説家が誕生した瞬間でもあった。
「たけくらべ」は演劇でも繰り返し演じられる名作だけど、
樋口一葉が、死ぬ前のわずか1年ちょっとの間で生まれた作品と一つとは知らなかった。
超貧乏。そして、実らなかった恋。
せつない人生だけど、一葉はそれらを全て小説に昇華させて
大きな星が落ちるように消えていったんだな。