今回の列伝は幕末の先覚者「吉田松陰」。維新の志士たちの精神的指導者となった松陰の至誠を貫いた生き様に迫る。死を前にして残した「留魂録」。そこに残された松陰の思いとは・・・
幕末、黒船の圧倒的武力によって日本の開国を迫るアメリカに対し、太平の世に慣れ、成す術もない江戸幕府。そんな時代に誰より先駆けて行動を起こし、その命がけの行動によって多くの若者を志士へ変えたのが、先覚者・吉田松陰だ。わずか29歳でこの世を去る松陰が死の直前に書いた留魂録、その言葉の一語一語が志士たちを立ち上がらせたのだ。しかし、そこに至るまでの道のりは、厳しい戦いの連続だった。最後まで憂国の想いを貫き、すべてを捧げた男の知られざる人生に迫ります。
長州藩萩城下松本村で松陰は誕生する。わずか10歳で藩校・明倫館の教授見習いとして教壇に立つなど、優秀極まりない少年だったがその裏には厳しい教育が隠されていた。教育係となったのが叔父・玉木文之進。私利私欲を許さない超スパルタ教育とも言うべき教えによって、松陰は国のため公のために尽くす生き方を目指すようになる。
嘉永六年六月三日、黒船来航により日本中が大騒ぎ。長州藩の海防を担う兵学者となり、諸国遊学の旅に出ていた松陰は、江戸でその知らせを聞き、浦賀へ駆けつける。そして直接黒船を見てそのすさまじさに衝撃を受けた。国を守るためには西洋の力を吸収しなければならないと考えた松陰は、ある夜、黒船に密航。ペリーの通訳に会い、アメリカへ連れて行ってほしいと直談判するも失敗。海外渡航が国禁であったため、松陰はついに投獄されてしまう。
故郷萩の牢獄・野山獄に投獄された松陰は、しかし思わぬ才能を発揮することになる。あまりに純粋無垢な松陰の心が囚人たちの心を掴み、荒んだ獄舎が変わり始めたのだ。特に、富永有燐など、頑迷な性格のため家族から牢屋に閉じ込められていた囚人でさえも、松陰の謙虚さに打ちのめされてしまう。俳句や漢詩、書などお互いの得意分野を教え合う学問の場が生まれる。教育者としての目覚めであった。
1年後、出獄した松陰の前に村の若者たちが集まり、教えを乞い始める。松陰はやがて自宅脇にある小屋で私塾を開き、迫りくる欧米列強に対抗できる人材を作ろうとこれまでにない教育を行う。1つは「個性重視」の授業、ひとりひとりの長所を見極め、それを伸ばすことで個性豊かな人材が頭角を見せ始める。そして最新時事をテーマにした「討論」によって若者たちが自分の意見を持つようになり、いつしか志士へと変貌していった。わずか1年数か月の間に時代を変革させるリーダーを生み出したのだ。
人間の価値は、生きた長さじゃなくて、生きた時間の中身の濃さだってことがよ〜くわかった。
吉田松陰、29年間しか生きてないなんて、あらためて驚きだった。
しかも、松陰の松下村塾はわすが1年ぐらい。
そんな中から多くの英傑、しかも、その英傑は決してエリートじゃなくて、
そこらの村の子や下級武士の子だったんだよ。
全く、どんなスーパー教師か!すごすぎる人だよ。
信じられないことずくめの今回でした。