今回の列伝は「嘉納治五郎」。講道館柔道の生みの親にして、教育者として当時まだ体育という概念がなかった日本に、体育教育の重要性を根付かせた“日本体育の父”。日本のオリンピック参加にも奔走、1912年、アジアで初めてストックホルム大会に参加を実現させた。日本スポーツ界の土台を作り上げた異色の教育者の波乱の生涯に迫る。
2000年9月。ロシアのプーチン大統領が、東京都文京区にある講道館を訪ねた。一国の大統領をも虜にするほど、今や世界的な競技となった日本の柔道。その生みの親こそが、柔道の祖「嘉納治五郎」。肉体の鍛錬こそが、豊かな心と知識を生み出すという信念のもと、「柔道」を創りあげ、さらには“国民の体育教育”を大きく躍進させる。身体と心のバランスが、人間を革新させると考える程、治五郎は進歩主義の男だった。柔道から、体育教育にまで一貫する、治五郎が残したかったモノとは?孤高の武道家の姿に迫る。
ただ、「柔道の祖」だと思っていたら、ものすごい人だった。
エリート中のエリートでありながら、
体育を学校に取り入れることが重要と
いち早く気づくなんてね。
この人がいなかったら、日本は永遠に
オリンピックにも参加してなかったかもしれないんだから。
文武両道って、本当に、嘉納治五郎のためにある言葉だね。