今回の列伝は新選組・鬼の副長「土方歳三」。幕末動乱期、農民に生まれながら、心に抱いた侍への夢。武士よりも武士道を重んじ、鉄の掟で新選組を最強の軍団に育て上げた。武士の時代の終焉、明治という新時代になり、函館で土方が見た新たな夢とは・・・。波乱の生涯に迫る。
江戸時代末期、動乱の京都に現れた“新選組”は、幕府を打倒しようとする志士たちの陰謀を未然に見破り防いでいった。その最強集団を作り上げた男こそ“鬼の副長”土方歳三。味方にも恐れられた冷酷な男。しかし彼の行動の裏には、武士に憧れ続けた男の夢があった。武士の時代が終わりを告げようとするとき、土方歳三の見つめた士道とは何だったのだろうか?
土方歳三は1835年、東京日野の農家の4男として生まれる。手のつけられない腕白坊主だった彼は、奉公に出ては番頭をなぐったり、女中を妊娠させたり。自分の居場所を見つけられない中、たった一つ夢中になれたものが17歳のときに始めた剣術だった。入門した天然理心流には、館長の近藤勇を始め、後に新選組の隊士となる凄腕がそろっていたのだ。ついに見つけた自分の居場所、そして土方は剣術の腕をいかし、「いつか侍になりたい」と願う。しかし農民の身では、それは夢でしかなかった。
新選組が有名になり、人数も増えていくにつれ、規律を正すことが難しくなっていった。そのとき土方が隊士たちに求めたのは「士道を守ること」。その言葉にこそ、土方が「鬼の副長」と呼ばれた理由がある。勝手に金策をすれば士道不覚悟で切腹、敵に背を向ければ士道不覚悟で切腹・・・。当時、倒幕派の志士たちとの戦闘での死者が6名に対し、隊規違反で死んだ者は21名にのぼる。当時は武士の間でも切腹など時代遅れといわれた時代。土方は憧れの侍になるため、侍よりも厳しく武士道をつらぬいたのだ。そして1867年、ついに新選組全員の幕臣取立てが決まる。土方は夢の侍になったのだ。
夢を叶えた土方、しかし現実は残酷だった。幕臣になってからわずか4ヵ月後、十五代将軍・徳川慶喜は大政奉還をし、全権を返上する。とどまることを知らぬ内戦に、国が海外列強によって分断されることを恐れた苦渋の決断だった。
さらに徳川家そのものも滅ぼそうと進行する薩摩長州の新政府軍。その銃器の前に、新選組は敗走を続ける。近藤勇は斬首となり、仲間は散り散りになってゆく。その中で土方は、宇都宮、会津と最も激しい戦地で戦いつづけた。そしてさらに旧幕府海軍の榎本武揚とともに函館を占領。ここに蝦夷共和国を樹立し最後の抗戦に出たのだ。すでに江戸城は無血開城、年号も明治になっていた。それでも戦いつづけた土方。彼の目的はなんだったのか?それは自らの理想の国を作るためだったのかもしれない。蝦夷共和国では選挙で閣僚を選び、新たな税制度を考えるなど、近代的な政府を作ろうとしていた。武士に憧れた1人の少年は、戦い続ける中で物を見、成長し、そして自らが求める理想の国のビジョンを描くまでになっていたのだ。しかし新政府軍の猛攻により、函館政府は降伏する。榎本を始め閣僚たちの多くは降伏したが、その中に土方の姿はなかった。戦いの最中、馬上で撃たれ、この世を去ったのだ。時代の荒波の中で、最後まで時代遅れの武士道を夢見、戦い続けた土方歳三。そして彼はラストサムライと呼ばれるようになった。
ニッポンのラストサムライ!だ。
それに天下まれにみるハンサム!
日野という江戸の田舎で生まれて、最後は独立国の
中枢まで入り込むんだから、頭も切れる人だったんだろう。
確かに、黒鉄さんがいうように、立場は違ったけど、
「もう一人の坂本竜馬」と言ってもいいのかもしれないね。