#13 2014年7月11日(金)放送 新選組のラストサムライ 土方歳三

土方歳三

今回の列伝は新選組・鬼の副長「土方歳三」。幕末動乱期、農民に生まれながら、心に抱いた侍への夢。武士よりも武士道を重んじ、鉄の掟で新選組を最強の軍団に育て上げた。武士の時代の終焉、明治という新時代になり、函館で土方が見た新たな夢とは・・・。波乱の生涯に迫る。

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ゲスト 漫画家
黒鉄ヒロシ

江戸時代末期、動乱の京都に現れた“新選組”は、幕府を打倒しようとする志士たちの陰謀を未然に見破り防いでいった。その最強集団を作り上げた男こそ“鬼の副長”土方歳三。味方にも恐れられた冷酷な男。しかし彼の行動の裏には、武士に憧れ続けた男の夢があった。武士の時代が終わりを告げようとするとき、土方歳三の見つめた士道とは何だったのだろうか?

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農民が描いた夢

土方歳三は1835年、東京日野の農家の4男として生まれる。手のつけられない腕白坊主だった彼は、奉公に出ては番頭をなぐったり、女中を妊娠させたり。自分の居場所を見つけられない中、たった一つ夢中になれたものが17歳のときに始めた剣術だった。入門した天然理心流には、館長の近藤勇を始め、後に新選組の隊士となる凄腕がそろっていたのだ。ついに見つけた自分の居場所、そして土方は剣術の腕をいかし、「いつか侍になりたい」と願う。しかし農民の身では、それは夢でしかなかった。

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立身出世への道

侍になりたいと願う土方に、ある日、思いがけない話が舞い込んでくる。江戸で浪士組という部隊を結成し、京都へ派遣する計画があるというのだ。動乱の都の警護を強化するため。しかも腕が立てば武士だけでなく、農民や犯罪者でもいいというのだ。二度とないチャンスに土方と天然理心流の仲間は浪士組に参加する。しかし京都に着くと烏合の衆だった浪士組はあっさりと分裂してしまう。土方らは、水戸藩の志士・芹沢鴨とともに京都に残った。そして願っていたチャンスが訪れる。「八・一八の政変」と呼ばれるクーデターが起きるのだ。このとき土方らは京都守護職・松平容保の要請に応じ参加。その功績を認められ、正式に名前を賜る。それこそが“新選組”。伝説の始まりだった。

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最強部隊を作る

新選組という居場所を手に入れた土方。そして彼は新選組を、侍として恥ずかしくない最強の集団にしようとする。そしてとった行動が、初代局長となった芹沢鴨の暗殺だった。芹沢は酒に酔っては芸者を屯所へ連れ込み、道端で人を切り捨てた。そんな人物がトップでは組織が崩壊してしまう。土方は芹沢を排除したのだ。そして近藤勇をトップにすえ、自らは副長となり実権を握ってゆく。
そして次に求めたのは世間に認められる大きな手柄だった。1864年6月5日。大量に兵器を隠し持っていた倒幕派の志士を逮捕した土方は、彼らが恐るべきクーデター計画を企んでいることを見抜く。そしてローラー作戦の末、池田屋に踏み込み、倒幕派の志士9名を殺害、4名を逮捕したのだ。世に言う池田屋事件。新選組の名は京都中にとどろいた。

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鉄の掟

新選組が有名になり、人数も増えていくにつれ、規律を正すことが難しくなっていった。そのとき土方が隊士たちに求めたのは「士道を守ること」。その言葉にこそ、土方が「鬼の副長」と呼ばれた理由がある。勝手に金策をすれば士道不覚悟で切腹、敵に背を向ければ士道不覚悟で切腹・・・。当時、倒幕派の志士たちとの戦闘での死者が6名に対し、隊規違反で死んだ者は21名にのぼる。当時は武士の間でも切腹など時代遅れといわれた時代。土方は憧れの侍になるため、侍よりも厳しく武士道をつらぬいたのだ。そして1867年、ついに新選組全員の幕臣取立てが決まる。土方は夢の侍になったのだ。

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傑作誕生

夢を叶えた土方、しかし現実は残酷だった。幕臣になってからわずか4ヵ月後、十五代将軍・徳川慶喜は大政奉還をし、全権を返上する。とどまることを知らぬ内戦に、国が海外列強によって分断されることを恐れた苦渋の決断だった。
さらに徳川家そのものも滅ぼそうと進行する薩摩長州の新政府軍。その銃器の前に、新選組は敗走を続ける。近藤勇は斬首となり、仲間は散り散りになってゆく。その中で土方は、宇都宮、会津と最も激しい戦地で戦いつづけた。そしてさらに旧幕府海軍の榎本武揚とともに函館を占領。ここに蝦夷共和国を樹立し最後の抗戦に出たのだ。すでに江戸城は無血開城、年号も明治になっていた。それでも戦いつづけた土方。彼の目的はなんだったのか?それは自らの理想の国を作るためだったのかもしれない。蝦夷共和国では選挙で閣僚を選び、新たな税制度を考えるなど、近代的な政府を作ろうとしていた。武士に憧れた1人の少年は、戦い続ける中で物を見、成長し、そして自らが求める理想の国のビジョンを描くまでになっていたのだ。しかし新政府軍の猛攻により、函館政府は降伏する。榎本を始め閣僚たちの多くは降伏したが、その中に土方の姿はなかった。戦いの最中、馬上で撃たれ、この世を去ったのだ。時代の荒波の中で、最後まで時代遅れの武士道を夢見、戦い続けた土方歳三。そして彼はラストサムライと呼ばれるようになった。

六平のひとり言

ニッポンのラストサムライ!だ。
それに天下まれにみるハンサム!
日野という江戸の田舎で生まれて、最後は独立国の
中枢まで入り込むんだから、頭も切れる人だったんだろう。
確かに、黒鉄さんがいうように、立場は違ったけど、
「もう一人の坂本竜馬」と言ってもいいのかもしれないね。