今回の列伝は不滅の69連勝を成し遂げ、昭和を沸かせた史上最強の名横綱「双葉山」。父親の抱えた多額の負債を返済するために大相撲入りした双葉山は、実は幼少時より右目の視力障害、右手の小指を失うというハンディキャップを背負っていた。他の力士たちが連勝阻止のためプライドをかけて立ち向かうなか、双葉山が目指した「木鶏」とは!?波瀾万丈に人生に迫る。
鍛え抜いた体をわずか4メートルの土俵の上でぶつけあい勝敗を決める、厳しい大相撲の世界。大相撲が庶民の一大娯楽であった昭和初期、歴史に残る名勝負を繰り広げ、日本中の人々を熱狂させたのが、名横綱・双葉山定次だ。1年2場所制だったこの時代、昭和11年から3年にわたって勝ち続け、ついに69連勝を達成。しかし、そこに至るまでの道のりは、苦難と挑戦の連続だった。最後まで自分の相撲道を貫き、相撲に命を捧げた男の知られざる人生に迫ります。
大分県天津村、現在の宇佐市で誕生した双葉山定次。気が弱く相撲が苦手な少年だったが15歳の時、無理やり参加させられた相撲大会であっという間に強豪をなぎ倒して注目を集めてしまう。新聞に掲載され入門話が持ち上がるが、双葉山は迷っていた。右手小指の指先を怪我し、また、右目がぼんやりとしか見えない状態だったのだ。しかし父の膨大な借金を返すために力士を志し、昭和2年、立浪部屋に入門。大きな挑戦がはじまった。
しかし入門してみると現実は厳しかった。体重が軽く、力士の世界では入門規定ギリギリ。その気質から真っ向勝負を挑んでしまうが、いつも押し負け、最後に土俵際でうっちゃりに持ち込む。うっちゃり双葉などとからかわれる日々が続いていた。多くの幕内力士が脱退する春秋園事件によって、繰り上げ入幕した双葉山は前頭4枚目に昇進。しかし、そこでも大関や関脇など上位の力士たちにやられてしまう。
うだつのあがらない双葉山を応援するただ一人の男が昭和初の横綱となった玉錦だった。人の何倍もの稽古を重ねる双葉山の可能性を信じ、玉錦は可愛がった。猛稽古に励んだ双葉山は体重が激増し、体つきが堂々たるものになっていく。一方、右目のハンディを克服するために、双葉山はある特別な立ち合いを生み出す。それがあえて相手より後に立つ「後の先」だった。これによって9勝2敗と好成績を残し、一気に関脇へと昇進する。
絶好調の双葉山だが、どうしても勝てない大きな壁が立ちはだかった。それが恩人・玉錦の存在だった。6戦して全敗。どうしても勝つことができない。模索の日々の中、双葉山に大きな出会いが訪れる。それが陽明学者の安岡正篤だった。中国戦国時代の最強の軍鶏、「木鶏」の逸話に感銘を受けた双葉山は心を鍛えるため滝に打たれ、精進を重ねる。その後、ついにやってきた玉錦との7度目の対決に勝利し、覇者交代。全戦全勝の初優勝を飾った。
不世出の大横綱でしょう。
肉体的な強さだけじゃなくて、メンタルの強さがすごいよね。
今の相撲界の育ての親だと思う。
69連勝。まだまだこの記録は抜かれないんじゃない?