美術評論家 中野 京子
悲劇のヒロインの歌声によって人々を感動させてきたプッチーニ。プッチーニヒロインとも呼ばれる一途な愛を捧げる薄幸の女性達の中でも、特に蝶々夫人にこだわったプッチーニは、3年以上かけてアリアを作曲。誕生した「ある晴れた日」に夫の帰りを信じて疑わない愛の気持ちをのせ、世界中の聴衆の涙を誘ってきた。そこには、叶わぬ愛を予感させる変ト長調という音調の選択、あえて明るく歌うことで悲しみを高める歌の表現、そして歌のメロディを演奏する特殊なオーケストラの3つの技法が一体となっていたのだった。
一方、オペラにはもっとリアリズムが必要だと考え、革新的なヒロイン像にこだわったビゼー。不道徳だと劇場側に反対されながらも、自由奔放に恋するカルメンや禁断の愛におぼれるホセに人々は共感するはずだと直感し、アリアを作曲。その天才的発想によって生まれた「ハバネラ」は半音階を下降させるメロディによって魔性の女の姿を表現。そして、格調高く、しかしレクイエムにも使われるニ短調が選ばれ、自由への意思を強く持つカルメンが最後は悲劇的結末を迎えることを予感させている。さらにそこには、当時スペインが男性優位社会だったことへのカルメン自身の抵抗の気持ちが込められていた。
プッチーニが蝶々夫人の作曲を終えようとしていた頃、交通事故を起こし重傷を負ってしまう。どん底の日々を支えてくれたのが、16歳のメイド、ドーリアだった。数々の女性達と浮き名を流していたプッチーニ、ドーリアにはそれまでにない純粋な愛を感じるようになっていきます。しかし、身分違いの2人は結ばれること無く、それは蝶々夫人と同じ叶わぬ愛でした。蝶々夫人初演5年後、ドーリアはプッチーニの妻に追い詰められ、服毒自殺。最後までプッチーニを気遣うドーリアの言葉は深く突き刺さり、プッチーニは7年もの間、新作オペラに手がつかない状態に追い込まれてしまう。「ある晴れた日に」には、ドーリアとの儚い愛の思い出が込められているのかもしれません。一方、早熟の天才として幼い頃から注目され、エリートコースを歩んできたビゼー。しかし、女性には奥手で、ただただ作曲に没頭していた。そんなビゼーが27歳の頃、パリでも有名な美貌の悪女セレストに出会う。「私の気性には“慎み”なんてこれっぽっちもない」と語るセレストに身も焦がれる恋に落ちたビゼー。9年後アリア作曲の際にセレストの姿をカルメンに重ね、情念を歌うハバネラを作曲。36歳で急死したビゼーのたった一度きりの愛が、オペラの中で永遠に燃え続けているのです。
月には満月もあるし、新月もあるし、三日月もあるけれども、影のところには見えていないが月は在る。見えていないからそこには無いと考えるのではなく、真っ暗だけど在る。そうやって見ていくと、2人のアリアの悲しい歌声が、何故晴れやかなのに悲しいのか、何故淫らだが魅力的なのかが見えてくる。
オペラってほかの舞台芸術に比べると敷居が高く感じますね。日本ではチケットのお値段も高いですし。しかし一度その世界に足を踏み入れると、その「非日常」な世界観に魅了されます。マイクを使わない迫力のある歌声、オーケストラの生演奏、はじめから終わりまで続く音楽の世界。こんな非日常なのに感動している自分がいて正直、驚きました。見ているうちに、セリフがすべて歌でも気にならなくなり物語に引き込まれていきました。「いつかオペラを作曲したい」と作曲家にとってもオペラは特別なものだそうです。音楽のビジュアル化ともいえるオペラは、作曲家のメッセージがダイレクトに伝わりますね。