演出家 宮本 亜門
主人公の溝口は、生来の吃音症を抱え、強烈なコンプレックスを感じていました。そんな溝口の唯一の理解者が、父親でした。父親は、溝口が幼いころから、完璧な美しさを誇る金閣のことを語り聞かせます。金閣は溝口にとって、自分と対極の、犯すことのできない絶対的な美となり、憧れとなっていったのです。時代は、第二次世界大戦へ突入。米軍による爆撃が激化する中、美しい金閣と醜い自分が共に滅びるという破壊的衝動に、溝口は酔いしれます。三島が描き出した、青春の苦悩とは「妄想」。しかし、戦争は終結し、金閣は燃えずに、毅然と立ち続けていました。妄想が打ち崩れたことによって、現実世界の金閣と自分の差はかえって広がります。遂に溝口は、「金閣を焼かねばならぬ」と、妄想の一線を越え、行動に踏み出すのです。溝口がコンプレックスの反動として金閣を偏愛したように、三島もまた、日本の伝統美を愛しました。デビュー作、「花ざかりの森」をはじめ、「近代能楽集」など、美しい日本の芸術を下敷きにした作品を次々と発表しています。しかし、時代は経済成長期にさしかかり、古き良き伝統がないがしろにされるようになりました。三島は、溝口が行動したように、行動に移していきます。昭和45年、自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込んだ三島。侍のように自決することで、誇りある日本人としての自分を全うしようとしたのです。
誰しも青春の苦悩という種があると思う。種の芽が地球をぶっ通して木になる。その木が自分を表現し、社会の中で生きていく。でも、もともとは、青春の苦悩がなかったら、今の自分は無い。俺いったい何者なんだとか、これからどうなるんだとか、青春の苦悩の種の事を想う、今日の1時間だった。
「青春」というと 甘酸っぱい響きがありますが…まぶしいイメージとは裏腹に日比野さんも宮本亜門さんも「あのころには帰りたくない」と。心の中にモヤモヤがたまり出口をもとめる息苦しい時期ですもんね。太宰治が「人間失格」を書いたのは38歳、三島由紀夫が「金閣寺」を書いたのが31歳。一般的には“青春時代”から時間がたっているはずなのに 青春を美化することなく息苦しいほどのリアリティがあり全く説教くさくない作品です。たぶん青春の只中にいたのでしょうね。本当の意味で「生涯青春」だったのかもしれません。