#19 青春の苦悩 2014年2月12日(水)放送

太宰治「人間失格」&三島由紀夫「金閣寺」
ゲスト

演出家 宮本 亜門

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青春の苦悩

半世紀以上に渡って、若者たちに読み継がれる傑作があります。青春の苦悩をつづった、太宰治の「人間失格」。累計1000万部を超える、大ベストセラー作品です。太宰が書いたのは、自分だけが異質と感じ、他人との関わりを極度に恐れ、破滅していく青年。その心の苦悩は、今も若者を惹きつけてやみません。お笑い芸人の又吉直樹さんも、そんな一人です。そしてもう一つ、同時期に青春の苦悩を描いた傑作が誕生します。青春文学の金字塔、三島由紀夫の「金閣寺」。日本のみならず、フランスやロシアなど、約23カ国で翻訳された世界的作品です。三島が描いたのは、コンプレックスを抱え、他人を敵視し、屈折していく、青年。「金閣寺」を大胆に解釈し、舞台化した演出家の宮本亜門さんが、青年の心の闇に迫ります。日本の戦後文学を代表する、「人間失格」と「金閣寺」。青春の苦悩に秘められた、巨匠たちの思いに迫ります。

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太宰治「人間失格」

地方の裕福な家の末っ子として生まれた、主人公の葉蔵。何不自由なく暮らす葉蔵でしたが、自分と他人とでは、全く価値観が違い、自分は変なのではないかと思い、苦悩します。葉蔵は恐怖を乗り越えるために、本心を隠し、愛嬌のある自分を演じるしかないと考えました。太宰が描き出した、青春の苦悩とは、「道化」。そこには作者・太宰の人生が大きく関係していました。太宰治は津軽有数の格式高い家の六男として生まれ、貴族院議員にもなった厳格な父のもとで育ちました。その幼少期は、家族の中で、一人愛想笑いを浮かべ、道化を演じる葉蔵そのものだったのです。物語と同じように、銀座の店で知り合った女性と、海で入水自殺。自分一人が助かります。この一件は、故郷の新聞にも大きく取り上げられ、その罪悪感と挫折感は、太宰の人生に暗い影を落としていきます。作家として数々の名作を生み出しますが、昭和23年、玉川上水で、愛人とともに自殺。その死のわずか1か月後に発表されたのが、「人間失格」でした。

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三島由紀夫「金閣寺」

主人公の溝口は、生来の吃音症を抱え、強烈なコンプレックスを感じていました。そんな溝口の唯一の理解者が、父親でした。父親は、溝口が幼いころから、完璧な美しさを誇る金閣のことを語り聞かせます。金閣は溝口にとって、自分と対極の、犯すことのできない絶対的な美となり、憧れとなっていったのです。時代は、第二次世界大戦へ突入。米軍による爆撃が激化する中、美しい金閣と醜い自分が共に滅びるという破壊的衝動に、溝口は酔いしれます。三島が描き出した、青春の苦悩とは「妄想」。しかし、戦争は終結し、金閣は燃えずに、毅然と立ち続けていました。妄想が打ち崩れたことによって、現実世界の金閣と自分の差はかえって広がります。遂に溝口は、「金閣を焼かねばならぬ」と、妄想の一線を越え、行動に踏み出すのです。溝口がコンプレックスの反動として金閣を偏愛したように、三島もまた、日本の伝統美を愛しました。デビュー作、「花ざかりの森」をはじめ、「近代能楽集」など、美しい日本の芸術を下敷きにした作品を次々と発表しています。しかし、時代は経済成長期にさしかかり、古き良き伝統がないがしろにされるようになりました。三島は、溝口が行動したように、行動に移していきます。昭和45年、自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込んだ三島。侍のように自決することで、誇りある日本人としての自分を全うしようとしたのです。

日比野克彦

日比野の見方「苦悩の種」

日比野の見方 誰しも青春の苦悩という種があると思う。種の芽が地球をぶっ通して木になる。その木が自分を表現し、社会の中で生きていく。でも、もともとは、青春の苦悩がなかったら、今の自分は無い。俺いったい何者なんだとか、これからどうなるんだとか、青春の苦悩の種の事を想う、今日の1時間だった。

小川知子

小川知子が見た“巨匠たちの輝き”

「青春」というと 甘酸っぱい響きがありますが…まぶしいイメージとは裏腹に日比野さんも宮本亜門さんも「あのころには帰りたくない」と。心の中にモヤモヤがたまり出口をもとめる息苦しい時期ですもんね。太宰治が「人間失格」を書いたのは38歳、三島由紀夫が「金閣寺」を書いたのが31歳。一般的には“青春時代”から時間がたっているはずなのに 青春を美化することなく息苦しいほどのリアリティがあり全く説教くさくない作品です。たぶん青春の只中にいたのでしょうね。本当の意味で「生涯青春」だったのかもしれません。