瀧廉太郎 写真提供:瀧廉太郎記念館
山田耕筰 写真提供:日本楽劇協会
作曲家 千住明
瀧廉太郎と山田耕筰。日本の音楽黎明期と言われる時代に登場し、今なお口ずさまれる名曲を残した巨匠です。桜咲く春の情景が、美しいハーモニーで歌われる「花」。瀧廉太郎が、この曲を世に発表したのは20世紀を迎えようとしていた明治33(1900)年のことでした。開国以来、急速に取り入れられた西洋文化は、音楽の世界にも変革をもたらしていました。邦楽、民謡などに代わり、ドレミの音階や洋楽器がやって来て新しい西洋的な音の響きが人々に広まりつつあった日本。そんな過渡期であり現在に続く音楽の黎明期に新しい「日本のうた」の方向性を打ち出そうとした歌でもあったといいます。いっぽう山田耕筰。瀧と同じ明治時代に音楽の道を歩み始め、東京音楽学校の後輩にもあたります。いち早く世界に飛び出し、交響曲、オペラなどを学んでいた山田耕筰。そんな山田が、瀧の「花」から25年後に発表したのが「からたちの花」でした。優しく、語りかけてくるような旋律が深い印象を残す名曲。それは世界を知る巨匠が「日本語のうた」とは何かを考えた集大成でもありました。100年近い歳月が過ぎてなお歌い継がれる「日本の歌」。その魅力に迫ります。
山の頂にある木の絵だが、その根っこの部分には「あいうえお」と「言葉」を書いた。葉っぱがゆらめいているのは、その言葉が旋律となって、西洋の建物の中で反響している様。
瀧廉太郎作曲の「花」、名曲です。21歳のときの作曲ですから、天才ぶりがわかります。しかもあの美しいメロディは、日本初7音での作曲だったのです。一方の山田耕作作曲の「からたちの花」。日本語の自然な抑揚をメロディに取り込みました。2人とも新しいことにチャレンジし答えを出しています!かっこいいですね。ところで私は高校生のときに歌を習ったことがありまして(!!)年に一度の発表会で歌った曲が山田耕作作曲の「この道」でした。小学生のピアノの発表会の中、1人高校生が歌う音痴な「この道」。いま思い出しても赤面する記憶ですが、あのノスタルジックなメロディは山田耕作の幼少時代の経験からきていたのですね。音感だけでなく情感も足りなかったようです(^^;: