宮沢賢治 写真提供:林風舎
小説家 高橋源一郎
時代を超えて読み継がれる物語「童話」。かつては、言い伝えや民話を元にしたおとぎ話にすぎなかった童話を、文学にまで高めた二人の作家がいます。一人は世界的童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセン。『親指姫』『みにくいアヒルの子』『マッチ売りの少女』など、200を超える童話を生み出したメルヘンの巨匠です。そしてもう一人が、ふるさと岩手の自然の中から、幻想的な童話を次々と紡ぎ出した宮沢賢治です。その鮮烈な感受性によって描かれた神秘的な作品は、世紀を超えてなお、多くの読者に影響を与えています。
宮沢賢治の死の翌年(1934年)に発表された日本の童話文学の傑作「銀河鉄道の夜」。貧しい少年ジョバンニが、親友カムパネルラとともに、銀河鉄道に乗って旅するという幻想的な物語です。ジョバンニは銀河鉄道の旅を通して、この世から去ってゆくカムパネルラと最後の時を過ごします。この生者と死者との対話を描いた『銀河鉄道の夜』の背景には、賢治の最大の理解者であった、妹トシの死がありました。なぜ妹は、自分を置いてこの世界から旅立ってしまったのか・・・なぜ自分ではなく、妹が死なねばならなかったのか・・・。
アンデルセンの『人魚姫』が、自分の命と引き換えに愛する人の幸せを祈る者の物語であったとするなら、賢治の『銀河鉄道の夜』は反対に、死にゆく友人から「生き抜くことを託された」少年の物語だと言えます。他人のために命を投げ出すこと、あるいは投げ出された命に代えて自分の生を貫くこと。『銀河鉄道の夜』のラスト、かすかな希望を胸に牛乳を抱えて家へと走るジョバンニの姿に賢治は、「幸福を探し求めて生き続ける決意」を託したのかもしれません。
童話は基本的には子どものためのものですが、大人が読んでも味わい深いものですね。私も毎晩、子どもたちに読み聞かせをしているので「これってこういう話だったんだ」と再認識することがあります。私が子どものときには感じられなかったものが感じられたり逆に子どもたちのセンスにハッとさせられることもあります。いろんな読み方ができるというのも童話の大きな魅力ですね。しかし今回、大きな誤解をしていたことに気がつきました。それは「みにくいアヒルの子」の解釈!私はずっといじめられていた白鳥が最後にアヒルを見返す話だと思っていましたがアンデルセンがお話に込めたメッセージは「自分を受け入れてくれる環境は自分自身で探そう」というもの。どういう解釈で子どもに読み聞かせるかってかなり責任重大ですね…。