批評家 布施英利
光を描く“印象派”の巨匠として有名なルノワール。妻アリーヌと初めて出会ったのは、そんなルノワールが印象派の手法に悩んでいた頃でした。彼女のふっくらした姿を一目で気に入りモデルにしたルノワール…しかし人物を描こうとしても光のきらめきを様々な色彩を駆使して表現する印象派は、反対に人物を描くとき背景に溶け込んでしまいます。悩めるルノワールはルネサンス発祥の地イタリアへと旅立ち、ラファエロの作品に出会います。人物は輪郭線でくっきりと縁どられて躍動感に満ちている…「こんな肉体を描きたかった」と感銘を受けたルノワールはすぐさまアリーヌを呼び、浮き出るほどに豊満で輝く裸体画「金髪の浴女」を描きました。その後暮らしを共にするうちに、田舎出身のアリーヌの大らかで素朴な人柄に触れ、その内面の輝きを描き込むことこそがルノワールの大切なテーマとなっていきます。そしてついに一枚の傑作が生まれます。それが「母と子」。アリーヌの出産を機に、彼女の母として生命感あふれる姿と女性としての幸福に満ちた表情を描き上げ、以降、ルノワールは生きること自体を喜ぶような「幸福感」を生涯追求することになったのです。
20世紀初頭、ピカソやマティスなど新進気鋭の画家がパリに集まる中、イタリアからやって来たのが若き日のモディリアーニでした。しかし絵は売れず、独自の表現も見つからず、酒と麻薬に溺れていきます。そんな中当時パリに持ち込まれた「アフリカ彫刻」を目にしたモディリアーニは、西洋美術にはない単純化した造形に、力強さと神秘性を感じます。衝撃を受けたモディリアーニは以降彫刻に没頭します。しかし粉じんによって持病の肺結核を悪化させ志半ばで断念…。苦悩の末に得た自分だけの表現方法を失い絶望する中、一人の女性が現れます。長い首と切れ長な瞳、そして不思議な雰囲気を醸し出すジャンヌでした。彼女にアフリカ彫刻のような神秘性を感じたモディリアーニは彼女を描き続けます。そして生まれたのが「大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌの肖像」です。異様なまでに伸びた顔と首に曲がった体…そして瞳のない眼。極端にデフォルメしたジャンヌの瞳をなくすことで彼女の個性を消し、特定の女性に留まらない美に到達させようとしたのかもしれません。こうしてモディリアーニはジャンヌを通じて時代を越えた「普遍の美」を追い求めていったのです。
画家としての名声を得た晩年のルノワールにとって、アリーヌは陰で夫の制作を支える「画家の妻」となっていました。しかし彼らに悲劇が起こります。ルノワールの持病のリューマチが悪化し筆を握ることができなくなったのです。アリーヌは毎日夫の指に筆を挟んで布で巻きつけ、病を患ってもなお描こうとする夫の創作意欲を支えようとします。しかしそんなアリーヌも実は糖尿病を患っていました。夫を案ずるあまりに病を隠し続けたアリーヌは56歳で帰らぬ人となりました。死の5年前に描いたアリーヌ最後の肖像画を、ルノワールは片時も離さず傍らに置いていたと言われています。
一方モディリアーニとジャンヌにはある嬉しい出来事がありました。ジャンヌの妊娠です。しかしいまだ絵が売れず家計が厳しい二人は子供を里子に出します。さらにモディリアーニの結核も悪化します。それでも絵筆を握り続ける夫に、ジャンヌができることはモデルであり続けることでした。そんな彼女を描いた「ジャンヌの肖像」はまるで聖母マリアに見立てたかのように神々しく描かれています。その後モディリアーニは35歳の若さでこの世を去ります。ジャンヌも夫の死の二日後、身を投げて命を絶ちます。モディリアーニの最期の言葉に導かれるかのように・・・「天国までついてきてくれないか。そうすればあの世でも最高のモデルを持つことができる」