作家 葉室麟
武将たちが愛した戦国の美
戦国時代の末期、日本美術の最高傑作と言われる二つの作品が誕生します。国宝「檜図屏風」絢爛豪華な金色の雲に雄々しい檜が大きく身をよじりながら天に向かって伸びています。描いたのは、狩野永徳。信長や秀吉などから依頼を受け、数々の名画を残しました。そしてもう一つの傑作、国宝「松林図屏風」。神技と称えられる水墨画の至宝です。永徳とは対照的な、色の無い静寂の世界。大きく空白を取り入れた大胆な構図と、この世のものとは思えない朧なタッチ。描いたのは、画壇に君臨する狩野派に挑んだ地方絵師・長谷川等伯。武将たちが生死を賭けて、天下を目指したように、絵師たちもまた、天下一の美を目指し、熾烈な戦いを繰り広げていたのです。戦国の世に翻弄されながらも辿り着いた、美の境地に迫ります。
狩野永徳の「檜図屏風」
室町幕府の御用絵師、狩野派の嫡男として生まれ、幼いころから、才能を発揮した永徳。織田信長に認められた永徳のもとには、多くの戦国武将から、依頼が舞い込みました。そして長らく戦国の世で生きるうちに、永徳の画風は、力強さだけを求めるものから、更に発展していったのです。永徳48歳の作品「檜図屏風」。巨大な絵の中に、大きく曲がった檜が鎮座します。明らかに、それまでとは一線を画す、異様な絵です。実は、本来、檜は、真っ直ぐに伸びます。その枝は綺麗に広がります。しかし永徳は、その檜を大きくデフォルメし、不気味なほど、ねじ曲げて描いていたのです。永徳は、戦国の美は決して美しいものだけではなく、もがき、荒ぶる姿にこそ、本質があると考えたのかもしれません。
長谷川等伯の「松林図屏風」
仏画などを描き、能登地方では名の知れた絵師だった、長谷川等伯。得意とする水墨画の世界で戦国の世に、多くの作品を残していきます。そして、等伯が50歳を超えて描いたのが、最高傑作、「松林図屏風」煌びやかな作品が好まれる時代に、逆らうかのように生まれた水墨画。この絵は、等伯の出身地である能登の、朝霧に包まれた松林を描いたと言われています。濃い墨を使い、リズムよく描かれた松の葉。一方、細長い幹は、ところどころ霧に隠れ全身を見ることができません。削ぎ落とし、削ぎ落してなお残る松の静けさ。そこに描かれたのは、現実を超越した静寂の世界。それは命懸けの武士たちが求めた、無我の極地だったのかも知れません。