夏目漱石 肖像写真:日本近代文学館所蔵
森鷗外 肖像写真:文京区立森鷗外記念館所蔵
作家 高橋源一郎
これまで数々の文学がテーマに掲げてきた恋・・・。「一途な愛」「恋の駆け引き」「道ならぬ恋」・・・。その中にあって、明治から大正にかけて発表された2つの作品は、「恋の罪」をテーマに描き、百年を経た今なお、多くの人々に愛読されています。一つは、夏目漱石の「こころ」。主人公の「先生」と語り手である「私」との出会いからはじまる物語です。先生は言います。「恋は罪悪ですよ。」と。その後先生は、ずっと抱き続けていた「恋の罪」を、遺書という形で私に告げ、自ら命を絶つのです。そこには、あまりにも衝撃的な内容が綴られていました。小説「こころ」は、近代日本の国民的作家として知られる、漱石晩年の傑作です。もう一つの作品は、森鷗外の「舞姫」。主人公の、エリート外交官「太田豊太郎」は、留学先のドイツで、禁断の恋に落ち、もがき苦しんでいきます。そして最後に、取り返しのつかない「恋の罪」を犯してしまい、こう吐露するのです。「ただただ自分はゆるすべからざる罪人である。」と。小説「舞姫」は、日本に初めてロマン主義をもたらした作品と称されています。近代文学を牽引し続けた2人の巨匠は、「恋の罪」を通して、何を表現しようとしたのでしょうか?そこには、時を超え、現代の日本人への問いかけも込められているのです。
江戸時代までの封建制度が崩壊し、あらゆる文化・思想が一変。知識階級は西洋の新たな考え方と向き合うことになってゆきます。「自由」「平等」「恋愛」。森鷗外が短編小説「舞姫」を発表したのは、ちょうどその頃、明治23年のことでした。主人公の太田豊太郎は、東大卒の若きエリート官僚。若干22歳で、ドイツ・ベルリンへと留学します。勉学に勤しみ、夢のような3年が過ぎた頃、町のはずれで、一人さびしくすすり泣く、少女と出会うのです。名はエリス。貧しき踊り子の少女でした。ここから豊太郎の恋がはじまったのです。やがて2人の仲は同僚たちに密告され、豊太郎は官僚の職を解かれてしまいます。しかし、豊太郎に後悔はありませんでした。エリスとの恋は、豊太郎が人生で初めて踏み切った、自分の道。そこには、貧しくも確かな「幸せ」がありました。そしてエリスは、豊太郎の子を身ごもるのです。そんな恋に溺れる豊太郎の前に、親友で官僚の、相澤謙吉が現れます。相澤は豊太郎に、官僚復帰の足掛かりとするため、エリスとの関係を断ち、大臣の元で働くよう説得します。そして大臣からは、ロシアへの随行が命じられるのです。豊太郎の心は揺らぎます。貧しくとも愛のある暮らしか。官僚としての栄達か。そしてエリスには何も告げぬまま、豊太郎はロシアへと旅立ってしまいます。しかし毎日のように届く、エリスからの手紙。そこには、一途な恋慕の情が連綿と綴られていました。そんな豊太郎に下されたのは、日本への帰国命令でした。人生の大きな決断を迫られた、豊太郎。エリスを取るのか、名誉を取るのか。そして豊太郎は、恋ではなく自分の将来を選ぶことを決意します。豊太郎の帰国の意思を伝え聞いたエリスはあまりのショックに、心を病んでしまいます。愛する人を捨て、立身出世を選んだ豊太郎。それが、鷗外が「舞姫」で描いた、「恋の罪」だったのです。
時代は、「舞姫」が描かれた明治から大正へと変わり、民主主義が急速に発展。大正デモクラシーの思想の下、男女平等や団結権などが叫ばれます。人々が「個人の権利」を求める時代へと変わりつつあったのです。夏目漱石が長編小説「こころ」を朝日新聞に連載したのはちょうどその頃、大正3年のことでした。主人公の先生が抱いた「恋の罪」が物語の語り手である私に「遺書」という形で告げられます。学生時代、田舎から上京した先生は、下宿先の奥さんの一人娘「お嬢さん」と出会い、恋心を抱くようになります。それからしばらくして同じ下宿先にやってきたのが、先生の旧知の親友、「K」でした。Kは、先生も一目置くほど優秀で、異性になど見向きもせず、ただ自分の道を信じ、愚直に精進していた青年です。しかしそんなKが、あるとき突然、先生が心を寄せていたお嬢さんへの愛の気持ちを、告白してくるのです。Kの告白を聞いた先生はうろたえます。先生は、なんとかその思いを留まらせようと、 卑劣にもKの自尊心を揺さぶるのです。恋などに惑わされず、ただひたすら精進を重ねていたKにとって、それは自分の全てを否定されるかのようなことだったのです。一方先生は、Kがいない隙を見計らって、突然奥さんにお嬢さんと結婚させてくれるよう切り出し、了承されます。すると数日後奥さんから、先生とお嬢さんが結婚することになったと聞かされたKは、一通の遺書を残し、自ら命を絶ってしまうのです。先生は、ガタガタと震えながら、真っ先に遺書に手を伸ばします。Kは自分の仕打ちを苦に、自殺したのではないか?友の死を悼むより、自分の保身しか考えなかったのです。しかしそこには、先生に対しての恨みごとは何一つ書いてありませんでした。そこから先生は罪の悩みを抱えて生きていくことになったのです。自分の恋を貫くため、親友を裏切ってしまった先生。それが、漱石が「こころ」で描いた、「恋の罪」だったのです。
江戸時代末期に、津和野藩の御典医の嫡男として生まれた森鷗外は、6歳のとき、明治維新という大変革を迎えます。中央集権化により、藩体制は崩壊。それは森家にとって禄を失うことを意味しました。家長としての鴎外には、新たな時代の森家の運命が委ねられていたのです。家のために立身出世を目指した鷗外は、東大医学部を卒業後、ドイツに留学。しかしそこで「舞姫」の主人公同様、恋に落ちるのです。女性の名は、エリーゼ・ヴィーゲルト。陸軍軍医と異国の女性との恋。しかしそれは当時あってはならないものだったのです。そして鷗外もまた、豊太郎同様、愛する人をドイツに残し、帰国します。するととんでもない事件が起こるのです。鴎外が帰国して、わずか5日後。なんとエリーゼが、鷗外を追って、日本へとやってくるのです。鴎外の立身出世を阻む一大スキャンダル。森家や陸軍省は、エリーゼを鴎外に会わせることなく、ドイツに追い返そうと密かに説得に当たります。しかし、鷗外の親族や上司たちの日記には、事の重大さを知りながら、鴎外が何度もエリーゼに、密かに会いにきていたと克明に記されています。しかし来日から36日後、森家総出の説得により、エリーゼは泣く泣くドイツへと帰ってゆくのです。立身出世のため恋を断ち切った鴎外は、その後陸軍軍医の最高位、陸軍軍医総監にまで登りつめます。しかし、鴎外は人生の最後にあたり、遺言にこう書き記しています。「私は、石見国の森林太郎として死にたい。あらゆる外形的取扱いを辞めてもらいたい。森林太郎として死にたいのです。」家や国家に人生の全てを捧げた、森鷗外。死に際してはじめて、森林太郎個人としていきたいそう願っての、最後の言葉だったのです。
「こころ」の連載が始まった大正3年、漱石は、学生たちに向けて行った「私の個人主義」という講演の中で、若い頃の思いを語っています。大学は出たものの、「教師という何の興味も持てない仕事についてしまった不安」。そして「霧の中に閉じ込められているような孤独」。その不安と孤独を抱いたまま漱石は、教師として地方で過ごし、その後、イギリス・ロンドンに留学します。そこである言葉と出会い、その不安や孤独から解放されたと語っています。それが「自己本位」という言葉でした。他人の意見に流されることなく、自分自身の力で道を切り開くこと。それが漱石にとっての「自己本位」、すなわち「個人主義」でした。しかし「個人主義」という考えを突き詰める中で、他者とどう向き合うかという問題が浮かび上がってきたのです。「利己主義」や「自分勝手」ではない、他者との関わりを持つこと。それが漱石のたどり着いた本物の自己本位だったのです。「虞美人草」「三四郎」「それから」そして「こころ」。漱石はその後、「恋の罪」を通して、自己と他者のあるべき姿を絶えず問い続けてゆきます。小説「こころ」で、主人公の先生を「恋の罪」から解き放つのは、物語の語り手である「私」の存在です。「先生」は、何度も「私」に問いかけます。「あなたは真面目ですか?」あなたは自分の「こころ」としっかりと向き合っているのか?それは夏目漱石が訴え続けた「悪しきこころの時代」を生きる私達への警鐘でもあるのです。
後をひく収録でした。収録から時間がたつほどいろいろ考えが頭グルグル。「恋の罪」というストーリーで夏目漱石と森鴎外が言いたかったこととは?三角関係や異国での恋というストーリーの裏には「人間とは?」という大テーマが隠されていたのですね。わかりにくいです!恋の話のようでそれだけではなかったのですね。でもゲストの高橋源一郎さんの解説で、わかったような気になれましたよ。文豪と言われる日本の2トップの2人ですが、一筋縄ではいかないのがさすがです。日々刻々と変わるこころ、すぐそばにある厄介な存在です。