#1 美女の肖像 2013年10月2日(水)放送

ゲスト

漫画家 里中満智子

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絵画の歴史を変えた2人の美女

名だたる画家たちが描き続けてきた、永遠のテーマ「美女の肖像」。そんな「描かれた美女」の原点ともいうべき2枚の傑作があります。
肖像画の金字塔、「モナ・リザ」。万能の巨人レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたこの美女は、謎めいたほほえみで500年もの間、世界中の人々を魅了し続けてきました。 一方、絵画史上、最も愛される聖母子といわれる「椅子の聖母」。画家は、芸術の貴公子と称された巨匠ラファエロ・サンツィオ。優しさと愛らしさに満ちた聖母の姿は、革新的な表現として後世の画家たちに大きな影響を与えました。
16世紀イタリア・ルネサンスにさん然とあらわれた2人の美女。それぞれの芸術を極めようとした巨匠たちの、驚くべき「美の秘密」に迫ります!

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二大巨匠 運命の出会い! 科学×感情

1504年、花の都フィレンツェ。 地方の駆け出しの画家だった21歳のラファエロは、さらなる飛躍の場を求め、この街にやってきました。
当時フィレンツェは、ルネサンスが花開いた最先端の芸術都市。ラファエロはここで、憧れの大画家レオナルド・ダ・ヴィンチに出会います。
このとき、ダ・ヴィンチが手がけていた作品こそ、あの「モナ・リザ」。若きラファエロは衝撃を受けます。当時、肖像画といえば横顔で、表情がほとんどない無機質な人物像が当たり前。ところが「モナ・リザ」の顔はこちらを向き、あたかもそこに1人の女性が出現したかのように、ほほえんでいたのです。その驚異のテクニックを支えたものこそ、ダ・ヴィンチの美学、「美女を科学で描く」。ダ・ヴィンチは生涯で30体以上の人体を解剖し、肉体の内側から正確な人間を描こうとします。さらに研究をすすめるうちに、「美には法則がある」という考えに至り、理想の骨格、理想の筋肉、理想の表情を解き明かし、理想の美女をつくろうとしました。「モナ・リザ」は、生涯をかけて「人間の美しさとはなにか」を追い求めたダ・ヴィンチの、「究極の美の姿」だったのです。
究極の美女「モナ・リザ」に衝撃を受けたラファエロも、美女の肖像に挑みます。それは、ダ・ヴィンチの「科学」とは対極ともいえるやり方でした。ラファエロはこう語っています。「多くの美女を見なければ美女は描けない。そこへ自分の感性を加えて、最高の美女を描くのだ。」
美男子ラファエロは数多くの女性とつきあい、自分が美しいと感じた女性のしぐさや表情を、絵の中に加えていったのです。それこそがラファエロの美学、「美女を感情で描く」。そんなラファエロの、美の結晶が「椅子の聖母」です。幼子キリストをしっかりと抱きしめ、こちらを見つめる聖母マリア。艶のある瞳、柔らかそうな肌、赤く染まった耳からすらりと伸びる白いうなじ…ラファエロが自らの体験で感じた女性の美が凝縮されています。それは、神々しく描くことが常識だったそれまでの聖母子像からかけ離れた、温かな愛情があふれる母と子の肖像だったのです。
さらによく見ると、マリアは実際にとるには難しい姿勢をしています。ラファエロは写実的に人物を描くのではなく、デフォルメして丸い空間に親子をギュッと押し込むことで、母子の親密さ、マリアの愛情深さを強調したのです。
科学的に美の本質に迫る「モナ・リザ」と、画家自身の感情を加えて新たな美を創りだした「椅子の聖母」。美術史を塗り替えた2枚の「美女の肖像」が、ルネサンスに生まれたのです!

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科学者ダ・ヴィンチが見出した“人間の美”

「モナ・リザ」に込められた、もうひとつの美学。それを解き明かすのは、あの「謎のほほえみ」です。
2005年、この不思議な表情を、アムステルダム大学の研究者が人間の感情を読み取るソフトで調査しました。結果は、幸福感83%。しかし他にも、嫌悪9%、恐怖6%、怒り2%という感情を持っていることが判明します。ほほえみの中に、嫌悪や恐怖、怒りが入り交じる複雑な表情を浮かべる「モナ・リザ」。それが、ダ・ヴィンチのもう一つの美学、「複雑さこそ美」なのです。
ダ・ヴィンチの手稿に、その美学を解き明かすヒントが隠されています。「1493年7月16日カテリーナ来る」。ここに書かれた「カテリーナ」とは、ダ・ヴィンチの本当の母親だとする説があるのです。
1452年、ダ・ヴィンチはフィレンツェ近郊の小さな村で生まれました。しかし、わずか1歳のころに、母カテリーナとの暮らしは終わりを告げます。裕福な家柄の父は、農家の娘だったカテリーナとは正式に結婚せず、幼いダ・ヴィンチだけを引き取ったからです。それから40年、すっかり有名人となった息子に一目会おうと訪ねてきたのが、カテリーナでした。このとき、母60歳過ぎ、息子41歳。以後、1年半の月日を共に過ごし、カテリーナは亡くなります。そしておよそ8年後、ダ・ヴィンチは「モナ・リザ」を描き始めたのです。婚外子としての生い立ち、母との微妙な距離感…年老いた母との暮らしの中で、ダ・ヴィンチは心に渦巻くさまざまな感情と向き合い、科学的に割り切ることができなかった複雑な思いを、「モナ・リザ」の表情に投影していったのかもしれません。
葛藤を抱えながら生きる人間の姿、それこそが「モナ・リザ」の美だったのです。

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ラファエロが創りあげた“究極の愛”

「椅子の聖母」にはもう一つ、ある美学が秘められています。それを解き明かす鍵となる絵が、「ヴェールをかぶった婦人」。モデルは諸説ありますが、ラファエロの婚約者だといわれています。しかし、その婚約者は若くして亡くなり、結ばれることはありませんでした。
自分を愛してくれた女性の死・・・ラファエロは、彼女を弔うかのように絵の中で花嫁衣装を着せ、現実では果たせなかった幸せな結婚を実現させたのです。これこそが、ラファエロのもう一つの美学、「叶(かな)わぬ思いを描く」。この美学が「椅子の聖母」にも反映されています。ポイントはキリストの顔。実は、クリっとした目や鼻筋、口の形が、ラファエロの18歳ごろの自画像によく似ています。ラファエロは、聖母マリアの愛情を全身で受ける幼子キリストに、自分の姿を重ねたと考えられるのです。
ラファエロは8歳のときに、最愛の母を亡くしています。二度と会えない母への思い、母が子に向ける無償の愛への憧れを、いろんな女性たちの美を集めた女性像に加えたのです。「椅子の聖母」はラファエロにとって、「究極の愛の姿」でした。見る者を優しく見つめ返す、マリアのまなざし。親密な視線は、ラファエロだけに注がれていた無償の愛。
だからこそ、私たちは時を越えて、その愛の世界に胸をときめかせるのです。かつての、ラファエロのように。

日比野克彦

日比野の見方「自分の姿」

2つの作品を前にして見えてきたのは、もう一つの世界に没頭して、キャンバスの前で孤独な時間を過ごす画家たちの姿でしたね。現実にはなかったものを絵画の中に求めていったのかなあと。だからこそ、美女の肖像であっても、映しだされているものはどちらも…「自分の姿」!
これからいろんな美女の名画を見るときに、描いた人物はきっとこういうものを求めていたんだろうな、きっとこういう姿になりたかったんだろうな、なんて見方をすると、いろんな美が見えてくるのではないでしょうか。

小川知子

小川知子が見た“巨匠たちの輝き”

記念すべき初回のテーマは「美女の肖像」。選ばれた「モナ・リザ」と「椅子の聖母」は今も絶賛される超名作ですが、巨匠の“美女”へのアプローチは、正反対ともいえるものでした。モナ・リザのあの表情、聖母の暖かみ、どちらも巨匠がチャレンジの末たどり着いた“答え”だったのです!

アーティストである日比野さんとゲストの里中さんのお話は深く、日比野さんの白いキャンバスに向かうときの心の持ちようのお話や里中さんの「絵を描くときは骨から描く」という言葉に感心しきりでした。やはりアーティストは日々自分と向き合い、答えを模索しているのだと感じました。