「週刊プレイボーイ」を100万部の人気雑誌に育て上げた元集英社の名物編集長でコラムニストの島地氏。
ゴルフを始めたのは、25歳の時に編集担当していた「眠狂四郎」の作者、柴田錬三郎先生にゴルフクラブをもらったのがきっかけだとか。
いきなりコースに連れて行かれ、ゴルフで人生の厳しさを味わった島地氏は、悔しくてその後ゴルフに打ち込むようになった。
さらに島地氏のゴルフ人生を語る上で、青木功プロの存在は外せないと言う。
彼はゴルフから何を学び人生をどう豊かにしているのか・・・。
島地氏がゴルフから学んだグリーンの教えとは?
今回のゲスト
作家・元プレイボーイ編集長 島地 勝彦
1941年生まれ。青山学院大学卒業後、集英社に入社。「週刊プレイボーイ」の編集長として50万部だった同誌を100万部雑誌に育て上げ、「PLAYBOY」編集長、「Bart」創刊編集長などを歴任。柴田錬三郎、開高健、伊集院静など、文壇の大御所たちに愛される名物編集者として活躍後、2008年11月集英社インターナショナル社長を退き現在は作家として活動中。
そんな島地のゴルフライフとは?
次回のゲスト
イタリア料理 ラ・ベットラ オーナーシェフ 落合 務
フランス料理を志して「ホテルニューオータニ」に入社。76年にフランスへ料理修業後、イタリア料理に宗旨替えし、78年に本格的にイタリアで約3年間料理の修業を積む。まだイタリア料理どころか「パスタ」という言葉さえ一般的でなかった時「グラナータ」(東京・赤坂)の料理長に就任し、本場仕込みの味で在日イタリア人から圧倒的支持を得る。97年、東京・銀座に「ラ・ベットラ」をオープンして現在に至る。夜は1人前3990円のセットメニューで、「日本で一番予約困難な店」として、社会現象にも謳われるほどの人気を誇る。
そんな落合のゴルフライフとは?